甲府市(歴史)概要: 平安時代後期になると甲斐源氏武田氏が支配し源氏宗家に匹敵する程家運が隆盛した為、粛清されます。甲府市では甲斐源氏の一族である一条氏や板垣氏などが支配しましたが、室町時代に入ると武田宗家が甲斐守護職になるなど復権し従属するようになります。
戦国時代に入ると、武田信虎が躑躅ヶ崎館(武田氏館)に本拠を移し名実共に甲斐国の文化、行政、軍事の中心地として整備開発を務めます。勝頼の代に最盛期を迎えるものの、天正3年(1575)の長篠の戦い敗戦により急速に衰退し天正9年(1581)に新府城に本拠を移し再起を図るも、家臣の離反が続き天正10年(1582)の天目山の戦い後に武田家は滅亡しています。
江戸時代に入ると甲府の地は甲州街道における江戸城を守る防衛拠点として重要視され徳川義直、忠長、綱重、家宣といった徳川一族が配されました。宝永元年(1704)、5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が徳川家以外で初めて甲府城主となり甲府藩15万石を立藩します。
享保9年(1724)、8代将軍徳川吉宗の命により甲府一国が幕府の直轄地となり柳沢吉里は大和国郡山藩に移封、以後、甲府勤番の支配となります。幕末には新たに甲府城代を設け幕府の戦略的拠点となりますが、逸早く新政府軍に接収され、遅れて到着した新撰組を主力とする旧幕府軍との甲州戦争(甲州勝沼の戦い)が行われています。
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