上野原市(歴史)概要: 鎌倉時代に入ると武蔵七党の1つに数えられた横山党の一派古郡氏が支配しました。古郡氏は上野原城を本拠として勢力が拡大し大月市周辺も支配下に納めましたが建保元年(1213)、和田義盛の乱の際、幕府に敵対する和田氏側に参陣し騒乱が鎮圧されると古郡保忠・経忠兄弟は自刃しています。
その後、加藤氏や鎌田氏が地頭として就任し、室町時代に入ると小山田氏や加藤氏の影響下となり戦国時代には両氏とも甲斐守護職である武田家に従属するようになります。天正10年(1582)に武田家が滅ぶと加藤氏は戦死し、小山田氏は織田家に寝返ったものの許されず処刑されています。
江戸時代当初は谷村藩に属し、宝永元年(1704)に谷村藩が廃藩になると天領となり谷村代官所支配となます。
又、甲州街道が開削されると上野原市には上野原宿、鶴川宿、野田尻宿、犬目宿が設けられ、特に現在の上野原市の中心になっている上野原宿には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠20軒が設置され絹の市が開かれるなど物資や旅人の往来が多く栄えました。
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