甲州市(歴史)概要: 甲州市には釈迦堂遺跡や獅子之前遺跡、安道寺遺跡、重郎原遺跡、殿林遺跡、宮之上遺跡などの縄文時代の遺跡が点在し当時の人々の生活が窺えます。平安時代に入ると大和朝廷の在庁官人である三枝氏が支配し氏寺とされる大善寺など三枝氏縁の社寺を建立しています。
応保2年(1162)、三枝氏は熊野信仰の宗徒と対立し甲斐守の藤原忠重や中原清弘と共に熊野神社の社殿を破却、社領の押収、神官を忙殺するなど圧制を加えると宗徒が朝廷に訴え、三枝氏等は断罪され以降衰微していきます。
平安時代後期になると甲斐源氏の一族である安田氏や岩崎氏が支配し、中世に入ると三枝氏の後裔である於曽氏が強い影響力を持ちました。
戦国時代に入ると甲斐守護職武田家が国内を掌握し於曽氏も従属することになり勝沼では一族である勝沼氏が配されました。領内の開発も進み、特に黒川金山は武田家の主要鉱山として重きを成し黒川千軒と呼ばれる鉱山町が成立しました。
天正10年(1582)、武田勝頼が新府城から小山田氏の居城である岩殿城に向かう際、小山田氏の裏切りにより天目山に追い込まれ一族が自害、信玄の菩提寺である恵林寺をはじめ、数多くの武田家縁の社寺が焼き討ちにあっています。
江戸時代に入ると、概ね天領(柳沢氏の時代は甲府藩)に属し石和代官支配となり、甲州市には五大街道の1つ甲州街道が開削され、市内には駒飼宿、鶴瀬宿、勝沼宿が設けられ、甲州街道をはじめ青梅往還や秩父往還の武蔵国に接する場所には口留番所が設置されました。
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