都留市(歴史)概要: 中世に入ると小山田氏が支配し、当初は甲斐守護職である武田氏と対立しましたが戦国時代に従属するようになり、武田家の有力家臣として地位が確立しています。小山田氏は谷村城を居城として城下町の整備や関係社寺の造営など大きな影響力を持ち、武田家の家臣となりながら半独立領主的な意味合い強ったと思われています。
天正10年(1582)には主家である武田勝頼を領内に招いた上で謀反を企て為、武田家の滅亡の一端を担いまたが、主家を裏切った小山田氏の行為は織田信長に受け入れられず、斬首、一族は岩殿山城に立て籠もり抵抗したものの、間もなく落城しています。
その後、徳川領を経て豊臣領になると甲府城に入った浅野長政の家老浅野氏重が谷村城に入り、太閤建築や勝山城の築城などを行っています。
江戸時代に入ると鳥居氏が1万8千石(後に3万5千石)で入封し谷村藩を立藩、寛永9年(1632)に2代鳥居忠房は甲府城の徳川忠長に連座し、山形藩の鳥居忠恒に預けられると、寛永10年(1633)に上野国総社藩から秋元泰朝が1万8千石で入封しています。
秋元氏は建築土木事業に長けた大名とされ、日光東照宮(栃木県日光市)の造営や、谷村大堰、新倉掘抜などの作事事業を断行し多くの新田開発が行われ現在の都留市の礎を築きます。宝永元年(1704)に秋元氏が川越藩に移封されると谷村藩は廃藩となり、以後、天領となり谷村では陣屋が設けられ谷村代官所支配となます。
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