山梨市(歴史)概要: 山梨市には東後屋敷遺跡等の縄文時代の遺跡や唯一の弥生時代の遺跡である堀ノ内遺跡があり、古代から人々の営んでいた事が判ります。古墳時代に入ると多くの古墳が築造され、天神塚古墳、牧洞寺古墳、山寺古墳、観音塚古墳、長源寺前古墳から構成される岩下古墳群は山梨市指定史跡に指定されています。
平安時代に入ると荘園開発が進み牧荘、小原荘、大八幡荘などが成立、後期になると甲斐源氏の一族である安田氏が支配します。鎌倉時代に入ると安田氏の家運が衰微し代わって武田氏や二階堂氏が支配、市内には永昌院や天神社、大井俣窪八幡神社といった武田氏縁の社寺が点在しています。
江戸時代に入ると天領(一時甲府藩)に属し一部田安家領や清水家領が存在しました。甲州街道が開削されると栗原宿が設けられ宿場には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠20軒が設置、家屋は240軒を数えたそうです。甲州街道の中では比較的大きな宿場町で毎月4と9の日に市が立ち周辺の物資の集積場として発展しました。
田安家は8代将軍徳川吉宗の2男田安宗武を祖とする御三卿の一つで山梨郡、八代郡63ヵ村3万石を領し延享4年(1747)に当地に陣屋を設けました。清水家は9代将軍徳川家重の2男清水重好が山梨郡30ヵ村1万4千余石を領し宝暦12年(1762)に陣屋を設けました。重好の死後天領となりましたが文政13年(1830)に清水家が再興され領地も復されました。
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