甲府市: 大泉寺

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概要・歴史・観光・見所

大泉寺(甲府市)概要: 万年山大泉寺は山梨県甲府市古府中町に境内を構えてる曹洞宗の寺院です。大泉寺の創建は不詳ですが当初は巨摩郡島上条に境内を構え大川寺と称する密教系の寺院だったとされ、永正16年(1519)に武田信虎が居城を石和から躑躅ヶ崎館(武田氏館)に定め城下町が整備されると大永元年(1521)には大川寺も現在地に移されます。

信虎は天桂禅師(真翁宗見の法嗣)を招いて曹洞宗に改宗開山し寺号も法名「大泉寺殿泰雲存康大庵主」に因み大泉寺に改称(境内に大泉がある事に因んだとも)、自らの菩提寺としました。

その後は跡を継いだ武田信玄、勝頼父子から庇護された事で寺運が隆盛し甲斐国領国内の曹洞宗寺院を統括する僧録所となり、住職も吸江英心(信虎の弟)など武田家一族を迎えるなどしています。

天正2年(1574)、甲斐から追放されていた信虎が信濃国高遠(現在の長野県伊那市高遠町)死去すると龍雲寺(長野県佐久市:龍雲寺も武田領内の曹洞宗を統括する寺院の1つで境内には武田信玄のものと伝わる墓があります。)の大禅師北高全祝が招かれて大泉寺で葬儀が執り行っています。

武田家が滅ぶと徳川家から庇護され格式と寺領が安堵されましたが江戸時代には削減されています。甲府藩主となった柳沢家は武田家の後裔を自称していた事から篤く帰依し武田家三代(信虎・信玄・勝頼)の御霊屋を造営、内部には3代の木像が安置され背後には3代の宝篋印塔が建立されています。

又、享保9年(1724)2代藩主柳沢吉里が大和郡山藩転封の際には柳沢家の菩提寺である永慶寺(黄檗宗)から仏殿(焼失)や山門(現存:黄檗宗様式・甲府市指定文化財)が移築されています。

大泉寺の寺宝である絹本著色武田信虎像は信虎の死後、遺子信廉が菩提を弔う為製作寄進したもので昭和10年(1935)に国指定重要文化財に指定されています。

その他にも寺宝が多く、信虎が寄進したと伝わる絹本墨画松梅図(中国元時代、呉太素筆)が昭和30年(1955)に国指定重要文化財、武田信虎の墓が山梨県指定史跡、武田家(晴信、信玄、勝頼)や浅野家(忠吉、幸長)、豊臣家(秀勝)、平岡家関係の判物、判状などの大泉寺文書(20点)が昭和55年(1980)に山梨県有形文化財、武田信虎、信玄が利用したと伝わる金銅金具装笈(桧材、漆塗、出陣の際には持仏を入れ戦に望んだとされる。)が昭和63年(1988)に山梨県指定文化財にそれぞれ指定されています。

甲斐百八霊場第59番。甲斐八十八ヶ所霊場第62番札所。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

【 大泉寺菩提者:武田信虎 】-大泉寺の菩提者である武田信虎は武田17代当主武田信縄の嫡男として明応3年(1494)、又は明応7年(1498)に出生し、永正4年(1507)に信縄が死去した事により18代武田家当主を継ぎ、甲斐守護職に就任しました。しかし、実力者で叔父である油川信恵が異を唱え、有力一族や国人領主と組んで反旗を翻しましたが、永正5年(1508)に坊峰合戦で見事勝利し不穏分子を一掃しています。

さらに、武田家に与しない、小山田氏や、大井氏、穴山氏などを従えるようになり一応の甲斐統一を成しています。永正16年(1519)には武田家の本拠があった石和から甲府に進出し、居城である躑躅ヶ崎館(武田氏館)を築城、城下町の整備に伴い、後に菩提寺となる大川寺(大泉寺)も城下町に移しています。諏訪大社下社の神官である金刺氏を保護した事や伴野貞慶の要請により度々諏訪郡や佐久郡など信濃国に出征を繰り返しますが、多くが失敗し大きな損害を被っています。

関東の上杉家とは同盟関係を築く一方で、小田原北条氏や今川氏とも関係が悪く、国境付近では戦乱が絶えませんでした。そのような中、天文4年(1535)に諏訪頼満、天文6年(1537)には今川家との和睦が成立しています。特に今川家とは血縁関係を強め、信虎は長女である定恵院を今川家の当主となった今川義元の正室とし、嫡男の信虎(後の武田信玄)は義元の斡旋により転法輪三条公頼の娘(三条夫人)を正室として迎えています。

天文8年(1539)には北条氏綱とも和睦した為、信濃侵攻を強化し、信濃国の一部を支配下に入れましたが、天文10年(1541)に晴信(後の武田信玄)の反乱により国外追放され、信虎は今川義元の元に寓居となりました。晩年は武田信廉の居城である高遠城(長野県伊那市高遠町)で過ごし天正2年(1574)に死去、享年81歳。大泉寺境内に建立されている武田信虎の墓は山梨県指定史跡に指定されています。

大泉寺の文化財
・ 絹本著色武田信虎像−国指定重要文化財
・ 絹本墨画松梅図−信虎寄進−国指定重要文化財
・ 武田信虎の墓−山梨県指定史跡
・ 大泉寺文書−山梨県有形文化財
・ 金銅金具装笈−武田信虎、信玄利用−山梨県指定文化財
・ 大泉寺総門−二段切妻桟瓦葺、三間一戸−甲府市指定文化財

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大泉寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


大泉寺:ストリートビュー

大泉寺:写真

大泉寺境内中央正面にある黄檗宗様式の歴史が感じられる山門
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大泉寺山門から見た雰囲気のある参道 大泉寺の参道にある格式の高い唐門と綺麗に刈り込まれた植栽 大泉寺の本堂と武田菱を撮影した画像 大泉寺の境内にある御霊殿の門を写した写真
大泉寺の境内にある御霊殿の拝殿と石燈籠を撮った画像 大泉寺の境内にある歴史を伝える御霊殿 大泉寺の御霊殿背後の信虎(中),信玄(右),勝頼(左)の墓碑 大泉寺の境内に時を告げる鐘楼と梵鐘


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