河尻塚(甲府市)概要: この地は織田信長の家臣河尻秀隆が、さかさまにして埋められたと伝わる通称「さかさ塚」と呼ばれています。天正10年(1582)、信長の甲斐侵攻で功のあった秀隆は武田氏滅亡の後、甲斐、諏訪22万石の領主となりこの地に居を構えましたが(詳細は判りませんが武田の本拠だった躑躅ヶ崎館(武田氏館)や新府城は避け当地に館を設けたようです)、まだ政治的、軍事的不安定だった為、武田家縁の寺院や神社を破却する、ある種の武田掃討作戦を遂行し領民や旧武田家家臣から深い遺恨を残しました。
同年に発生した本能寺の変で信長が亡くなると、後ろ盾を失った秀隆に対し各地で一揆が発生し秀隆は鎮圧する事が出来ず討ち取られ、この地に埋められたと伝えられています。伝承通り秀隆が逆さまに葬られたとするとその恨みは相当深かった事が推察されます。河尻塚は貴重な事か昭和62年(1987)に甲府市指定史跡に指定されています。
河尻塚:上空画像
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