大月市(歴史)概要: 平安時代に入ると荘園開発が進み大月市では波加利荘などが成立し武蔵七党横山党の系統である古郡氏が支配します。建暦3年(1213)に古郡氏が滅びると宣陽門院領や武田氏、島津氏などが地頭として赴任しています。
室町時代に入ると小山田氏が支配し、岩殿山城を築くなど勢力を拡大しますが、戦国時代になると甲斐守護職となった武田氏に従属、天正10年(1582)には主家である武田勝頼を領内に招いた上で謀反を企て為、武田家の滅亡の一端を担いました。しかし、主家を裏切った小山田氏の行為は織田信長に受け入れられず、斬首、一族は岩殿山城に立て籠もり抵抗したものの、間もなく落城しています。
江戸時代に入ると谷村藩に属し、甲州街道が開削されと大月市では鳥沢宿、猿橋宿、駒橋宿、大月宿、下花咲宿、上花咲宿、下初狩宿、中初狩宿、白野宿、阿弥陀海道宿、黒野田宿が整備され物資や旅人の往来で賑わいました。
特に現在の大月市の中心部である大月宿は甲州街道と北口本宮富士浅間神社、富士山へと続く富士みちとの分岐点として多くの富士山信仰の参拝者が利用し本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠2軒が設けられました。
大月市・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|