甲府市: 金桜神社(昇仙峡)

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概要・歴史・観光・見所
金桜神社(昇仙峡)概要: 金桜神社は山梨県甲府市御岳町に境内を構えてる神社です。金桜神社の創建は不詳ですが伝承によると崇神天皇の御代(紀元前97年〜紀元前30年)、日本全域で疫病が流行した為、天皇の勅願で各国に一社造営される事となり、甲斐国では金峰山(標高:2599m)山頂に少彦名命の分霊が勧請されたのが始まりと伝えられています。当地は古くから日本の水晶の発祥の地とされ、その事が自然崇拝の信仰の対象となり火の玉・水の玉を社宝として所有しています。景行天皇40年(110)、日本武尊(神話で登場する皇子)が当社に参拝に訪れた際、大己貴命と須佐之男命の分霊を勧請合祀、山頂の社殿の造営を当時の甲斐国造塩海宿禰に命じ、さらに国家安寧の霊地である現在地に里宮(当社)を創建したそうです。雄略天皇10年(466)、御岳に社殿が造営、さらに大宝2年(702)大和国金峰山(奈良県吉野郡吉野町吉野山)から蔵王権現と金精大明神の分霊を勧請合祀、神仏習合した事で山岳信仰の拠点として多くの修験僧を擁しました。

金桜神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載され甲斐国の惣社とも云われました(金桜神社は所謂式内論社で、同じような由緒を持ち、式内社と称する神社は数社あり、何れも金桜神社と同様式内社の確証はありません)。社運も隆盛し最盛期には関東一面に信仰を広げ、日本三御嶽三大霊場(木曽の御嶽神社:長野県・武蔵の御嶽神社:東京都・甲斐の金桜神社:山梨県)などと称され社僧100余名が常時奉仕していたとされ、越後、佐渡、信濃、駿河などに信者がいたとされ、門前には多くの宿坊や御師屋敷が軒を連ね大いに賑ったとされます。

歴代領主にも崇敬され、甲斐源氏の祖とされる源清光が社殿を造営、鎌倉幕府執権北条時頼が大般若経を奉納、日蓮が法華経を奉納、武田勝頼が能面八面を奉納、仁科五郎が武具散蒔絵鼓胴を奉納、江戸時代に入ると甲府城主の祈願所として庇護され朱印10石1斗が安堵されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され神社として独立し社号も「蔵王権現」から「金桜神社」に改称、大正5年(1916)に県社に列しています。

金桜神社の旧社殿は中宮本殿が鎌倉時代の建築で、東宮本殿が室町時代の建築、さらに彫刻は左甚五郎作の昇り龍、降り龍などが施された壮麗なもので国指定重要文化財にそれぞれ指定されていましたが昭和30年(1955)の大火により両社殿を含む金桜神社の境内一帯が焼失し社殿13棟が灰燼に帰しました。現在社殿は再建され、境内は秩父多摩国立公園に属し、昇仙峡とともに観光名所となり多くの参拝客が訪れています。祭神は少名彦命、大己貴命、須佐之男命、日本武尊、櫛稲田媛命。

金桜神社の文化財
・ 能面八面−ヰセキ(2)、出目重満(1)の銘,椿材,桐材-山梨県指定文化財
・ 住吉蒔絵手箱−室町時代後期−黒漆地に金の平蒔の文様−山梨県指定文化財
・ 家紋散蒔絵手箱−室町時代後期−各種の家紋の意匠−山梨県指定文化財
・ 筏散蒔鼓胴−室町時代後期−仁科五郎奉納−山梨県指定文化財
・ 武具散蒔絵鼓胴−室町時代後期−武田勝頼奉納−山梨県指定文化財
・ 旧金桜神社石鳥居附旧材一括−鎌倉時代−明神鳥居−山梨県指定文化財
・ 金桜神社大々神楽付面と衣装−28面、47衣装−甲府市指定無形民俗文化財
・ 金桜神社のスギ群−甲府市指定天然記念物
・ 金桜神社御神水−平成の名水百選

金桜神社(昇仙峡):写真

金桜神社
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