韮崎市(歴史)概要: 韮崎市には三ツ沢遺跡や坂井遺跡など縄文時代から弥生時代の遺跡が点在し古くから生活に適した場所だったと思われます。律令制が制定された頃には勅命により穂坂牧が設置され、平安時代末期まで貢馬が続けられました。
荘園開発も進み宝荘厳院領の甘利庄が成立、又、甲斐源氏の祖とされる源清光が韮崎を拠点としていたことから後裔である武田氏がこれを引き継ぎ武田八幡宮や願成寺を創建、甘利庄には一族である甘利氏を配し領内の経営に尽力します。
平安時代末期には甲斐源氏の家運が隆盛し源氏宗家である源頼朝と対立、結果、粛清が断行され大きく勢力が削がれ衰微します。
武田氏は後に甲斐守護職として復権し武田勝頼の時代に最盛期を迎えますが天正3年(1575)の長篠の戦いで織田、徳川連合軍に敗北すると急速に衰退し、新府城に本拠を移し再起を図るものの、天正10年(1582)天目山の戦いに敗れ武田家は滅亡します。
江戸時代に入ると幕府の直轄地、甲府代官支配に属し(一時甲府藩)、甲州街道が開削され韮崎宿が設置、富士川舟運が整備されると物資の集積場や旅人の往来などで周辺地域の経済的中心地として繁栄しました。
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