入明寺(甲府市)概要: 法流山入明寺は山梨県甲府市住吉4丁目に境内を構えている浄土真宗の寺院です。入明寺の創建は長享元年(1487)、村上天皇の後裔である京都六条家出身の、六条有成が本願寺を中興した蓮如上人に帰依し出家、浄閑を名乗りが草庵を設けたのが始まりとされます。
当初は長元寺と称し稲積の庄にありましたが2代誓閑の代に現在地に境内を移し、3代栄閑の代に寺号を入明寺に改めました。戦国時代に入ると武田家が篤く庇護し、特に武田信玄は中央から正室を迎える事を画策し、公家出身の入明寺住職と図り三条左大臣公頼の息女と婚姻を取り付けたと伝えられています。
信玄と三条の方の間には武田義信、武田信親、武田信之の3人の男子が生まれましたが、義信は謀反を起こし東光寺に軟禁された後に自刃、信之は早世、残った武田信親も盲目の為に武田家の家督が継げませんでした。
それでも信親は家臣達からの信頼も篤く半僧半俗の生活をしながらも海野城を与えられ武将としての一面もありました(海野信親に改称)。
天正10年(1582)、武田家を継いだ武田勝頼(信玄の4男、側室:諏訪御料人との子供)が織田信長の甲斐侵攻で発生した天目山の戦いで敗北し自刃すると、入明寺に匿われてた信親も境内で自刃しました。享年42歳、戒名「長元院殿釈離潭竜宝大居士」、当時の住職栄順は遺骸を境内に葬りその印として紅梅1本植えたと伝えられています。
入明寺には信親の墓碑の他、位牌、信親の木像(8代後裔の護信作)などを所有しています。山号:法流山。宗派:浄土真宗。本尊:阿弥陀如来。
入明寺:上空画像
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