甲府市: 円光院

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概要・歴史・観光・見所
円光院(甲府市)概要: 瑞巌山円光院は山梨県甲府市岩窪町に境内を構えてる臨済宗妙心寺派の寺院です。円光院の創建は保元年間(1156〜1158年)甲斐源氏(武田家)の祖とされる源清光(逸見太郎清光)が開いたのが始まりと伝えられています。当初は源清光に因み清光院と称し小石和(笛吹市石和町)にありましたが、室町時代の甲斐守護職武田信守が父親である武田信重の位牌所として成就院と改称、さらに永禄3年(1560)、武田信玄が現在地に移し甲府五山(長禅寺東光寺・円光院・法泉寺・能成寺)に定めると説三和尚を招いて中興開山し、寺領18貫文を寄進するなど庇護されました(小石和の成就院は衰微しましたが慶長年間に浄土宗に改宗し中興、境内には武田信重の墓碑が建立されています)。

元亀元年(1570)7月28日に信玄の正室三条夫人が50歳で死去すると夫人の菩提寺となり法名「円光院殿梅岑宗い大禅定尼」に因み瑞巖山円光護持禅院と寺号を改められました。天正元年(1573)、武田信玄が伊那駒場で死去すると遺骸が境内の外側にあった土屋右衛門宅(武田信玄火葬塚)で密葬され3年後恵林寺に改葬されました。安永8年(1779)に当時の甲府代官中井清太夫が調査すると信玄の遺骸を納めたと思われる石棺が発見され大石碑(碑文は円光院の住職)が建立されると以後、円光院によって管理されました。

武田家滅亡後は平岡家の菩提寺となり延享3年(1764)に火事により多くの堂宇が焼失すると宝暦年間(1751〜1760年)に平岡家の協力を得て堂宇の再建と境内の整備を行っています。寺宝には武田家縁のものが多く、信玄の寄進状や刀八毘沙門天、勝軍地蔵尊(守本尊)、茶器、茶釜、武田家源氏系図などを所有しています。三条夫人の墓は貴重な事から昭和42年(1967)に山梨県指定史跡に指定されています。甲斐百八霊場60番札所。山号:瑞巌山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。

【 円光院:菩提者(三条夫人) 】-三条夫人は転法輪三条公頼(最高位:左大臣)の次女として生まれ、天文5年(1536)に武田晴信(後の武田信玄)に正室として武田家に嫁いでいます。実家である転法輪三条家は清華七家(久我家・三条家:転法輪三条家・西園寺家・徳大寺家・花山院家・大炊御門家・今出川家:菊亭家)に数えられる名家で、摂関家に次ぐ家柄とされます。容姿端麗で信玄との仲も睦まじかったらしく、武田義信、黄梅院、武田信親、武田信之、見性院と、5人の子供を儲けています。しかし、多くの子供は不遇が多く三条夫人も心を痛めたと思われます。義信は信玄に対して謀反(後に自刃)、黄梅院は北条家に嫁いだものの離縁され病死、信親は盲目で出家したものの武田家滅亡時に運命を共にし、信之は早天、見性院は長寿を全うしたものの嫁ぎ先の穴山梅雪が武田家を見限り武田家の滅亡の一因となっています。

公家出身だった事から、武田家と中央との繋ぎ役として大きな役割を担ったとされ、特に妹の如春尼は浄土真宗の顕如の夫人だった事から、織田信長包囲網を築く際には信玄と顕如の連携に至っています。又、転法輪三条家は仏教に関係が深い家だった事から三条夫人も武田領内の社寺への信仰が篤く、薬師供養祭りへの浄財の寄進や、向嶽寺(山梨県甲州市)の築地塀の寄進、成就院(円光院)の再興などを行っています。元亀元年(1570)に死去、享年50歳、菩提は円光院(成就院が三条夫人の戒名「円光院殿梅岑宗い大禅定尼」に因み円光院に改称。)に葬られ墓碑が建立されています。

円光院:写真

円光院境内正面の石造寺号標
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円光院本堂の左斜め前方 円光院の境内にある庫裏 円光院の境内にある鐘楼 円光院の境内にある三条夫人の墓碑(宝篋印塔)


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