三条夫人

  山梨県:歴史・観光・見所(ホーム)>円光院(甲府市)
【 菩提者 】 円光院山梨県甲府市)の菩提者である三条夫人は転法輪三条公頼(最高位:左大臣)の次女として生まれ、天文5年(1536)に武田晴信(後の武田信玄)に正室として嫁いでいます。実家である転法輪三条家は清華七家(久我家・三条家:転法輪三条家・西園寺家・徳大寺家・花山院家・大炊御門家・今出川家:菊亭家)に数えられる名家で、摂関家に次ぐ家柄とされます。容姿端麗で信玄との仲も睦まじかったらしく、武田義信、黄梅院、武田信親、武田信之、見性院と、5人の子供を儲けています(しかし、多くの子供は不遇が多く三条夫人も心を痛めたと思われます。義信は信玄に対して謀反、黄梅院は北条家に嫁いだものの離縁され病死、信親は盲目で出家したものの武田家滅亡時に運命を共にし、信之は早天、見性院は長寿を全うしたものの嫁ぎ先の穴山梅雪が武田家を見限り武田家の滅亡の一因となっています)。公家出身だった事から、武田家と中央との繋ぎ役として大きな役割を担ったとされ、特に妹の如春尼は浄土真宗の顕如の夫人だった事から、織田信長包囲網を築く際には信玄と顕如の連携に至っています。又、転法輪三条家は仏教に関係が深い家だった事から三条夫人も武田領内の社寺への信仰が篤く、薬師供養祭りへの浄財の寄進や、向嶽寺山梨県甲州市)の築地塀の寄進、成就院(円光院)の再興などを行っています。元亀元年(1570)に死去、享年50歳、菩提は円光院(成就院が三条夫人の戒名「円光院殿梅岑宗い大禅定尼」に因み円光院に改称。)に葬られ墓碑が建立されています。又、元亀4年(1573)に武田信玄が京都上洛の途中で倒れた際、家臣である馬場美濃守信房に遺言を残し、一つは信玄の守り本尊を円光院に納める事と、自分の遺体を円光院の境内に三年間、仮埋葬するように命じたとされます。実際に境内の隣地には武田信玄火葬塚(武田信玄公御墓所)と呼ばれる塚があり、信玄のものと推定される石棺が埋められているそうです。

円光院は甲府五山(東光寺・能成寺・長禅寺円光院法泉寺)に選定され寺運が隆盛しました。

【 寺  号 】 円光院
【 所在地 】 山梨県甲府市岩窪町
【 創建年 】 保元年間(1156〜1158年)
【 開  山 】
【 開  基 】 源清光(逸見太郎清光)
【 山  号 】 瑞巌山
【 宗  派 】 臨済宗妙心寺派
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 三条夫人の墓:山梨県指定史跡
山梨県大名菩提寺
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