加藤光泰

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加藤遠江守光泰(甲斐善光寺)
【 概 要 】−加藤遠江守光泰は天文6年(1537)、加藤景泰の子供として生まれました。当初は稲葉山城(後の岐阜城)の城主斎藤龍興の家臣でしたが、斎藤家が没落すると後の豊臣秀吉となる木下藤吉郎に仕え、秀吉が行った播磨国三木城攻めや山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、富山の役などの主要な戦に従軍しました。天正18年(1590)に発生した小田原の役でも大功があり甲斐国24万石が与えられました。甲斐国は豊臣家が危険視した徳川家康の領地に接する軍事的要衝だった事から、手狭だった武田氏館(躑躅ヶ崎館:国指定史跡・日本100名城)や要害山城(国指定史跡)を修築し甲府城(国指定史跡・日本100名城)の築城工事を引き継ぎました。領内の整備も尽力し、本人は豊臣家の家臣として留守をする事が多く、嫡男である加藤貞泰や養子の加藤光吉、実弟である加藤光政が実務を司っています。

加藤光泰は領内の社寺に対しても保護を行い妙遠寺には加藤清正が朝鮮出兵の際持ち帰ったとされる朝鮮玉すだれを奉納、天正18年(1590)には興因寺13世和尚を招いて無住だった安養寺を中興開基し寺号を洞雲寺に改称、天正19年(1591)には能成寺に禁制を発布、広厳院(山梨県笛吹市)に安堵状発布(広厳院文書は山梨県指定文化財)、天正19年(1591)に冨士御室浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町勝山)に12石1升7合の社領を安堵、美和神社 (山梨県笛吹市)に社領安堵、武田勝頼の菩提寺である法泉寺(山梨県甲府市)の保護、円光院(山梨県甲府市)に制札発布、天正2年(1592)には向嶽寺(山梨県甲州市)の寺領域の墨書絵図に加藤光泰の証判を加筆しています。

文禄2年(1593)に行われた文禄の役の際、西平浦の陣中で病を患い死去、享年57歳、戒名:剛園宗勝曹渓院。菩提は甲斐国に送られ日頃から信仰していた甲斐善光寺の境内に葬られました(現在甲斐善光寺の境内に建立されている五輪塔は元文4年:1739年に後裔が追善供養の為に奉納した供養塔です)。

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