成就院(笛吹市)概要: 六角山成就院の創建は久寿年間(1154〜1155年)、逸見清光(源清光:甲斐源氏の祖新羅三郎義光の孫)によって開基されました。当初は開基者の名前に因み寺号を清光院と号し、真言宗の寺院でしたが応永25年(1418)に武田信元(武田信春の子供、穴山家の養子に入り穴山満春に改名、兄の信満が鎌倉公方から追討され自刃すると満春は高野山で出家していた。)が甲斐国守護として当地に赴任してくると守護所として周囲を堀と土塁で囲み防衛的にも整備されました。
その後、3代にわたり当地で甲斐守護の任を行いましたが武田信重の代の宝徳2年(1450)、黒坂太郎信光と穴山修理大夫満春に挟撃され守護所は落城し、その兵火により清光院が炎上、信重も境内付近で自刃したと伝えられています。翌、宝徳3年(1451)、信重の嫡子武田信守が荒廃した清光院を臨済宗に改宗し寺号も信重の戒名「成就院殿功岳道成大居士」に因み成就院に改め、父親の位牌寺として厚く庇護します。
永禄年間(1558〜1570年)、武田信玄が居城躑躅ヶ崎館(武田氏館)城下(岩窪)に移し三条夫人の菩提寺にすると法名「瑞巖山円光護持禅院」に因み瑞岩山円光院と寺号を改称し甲府五山(東光寺・能成寺・長禅寺・円光院・法泉寺)として寺運も隆盛しています。
当地に残された成就院は衰微し境内は荒廃しましたが慶長年間(1596〜1615年)、僧心誉円通が再興し浄土宗に改宗してます。境内にある武田信重の墓は笛吹市指定史跡に指定されています。成就院の寺宝である閻魔大王像は寛文元年(1661)に製作したもので檜材、漆箔張、眼球(水晶)、明治40年(1907)の大洪水で埋没しましたがその後、信者により見つけ出され安置されています。閻魔大王像は貴重な事から笛吹市指定文化財に指定されています。山号:六角山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
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