都留市: 桂林寺

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概要・歴史・観光・見所
桂林寺(都留市)概要: 富春山桂林寺は山梨県都留市金井桂林寺の境内にある彼岸桜に境内を構えてる臨済宗妙心寺派の寺院です。桂林寺の創建は伝承によると平安時代、当地を巡錫で訪れた弘法大師空海(平安時代初期の高僧)が素晴しい景観に感動し、御堂を造営、自ら地蔵菩薩を彫刻し本尊としたのが始まりと伝えられています。その後衰退しましたが、室町時代の明徳年間(1390〜1394年)、当地方の領主小山田弥二郎富春(出羽守信澄)が生母の孝養の為、開基となり格智禅師(神奈川県鎌倉氏:建長寺住職)を招き中興開山し、寺号は富春の名前と戒名「桂林寺桂堂香公居士」に因み富春山桂林寺と称しました。小山田家の歴代の菩提寺として寺領(往時は金井村から羽根子村獅子岩まで広大な土地を領していました)の寄進や、室町時代後期の永禄年間(1558〜1570年)には小山田信茂が本堂を再建するなど庇護された事で寺運が隆盛し多くの末寺を擁する大寺院として発展しました。

天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅亡すると小山田家も命運を共にし桂林寺も庇護者を失い一時衰退しますがその後、安山宗泰和尚が再興し領主となった加藤作内(光吉)が寺領5石、鳥居成次から寺領4石が寄進されています。江戸時代に入ると谷村藩主秋元富朝が庇護し引き続き寺領の安堵と堂宇の再建がなされ、跡を継いだ喬知も堂宇の修復に一部補助を負担しています。元和2年(1616)に建長寺派から妙心寺派に転じ、最盛期には末寺28ヶ寺を擁する大寺となりましたが宝永元年(1704)、明治19年(1886)、明治23年(1890)と火災により多くの堂宇、寺宝、記録などが消失し境内も次第に縮小されたと思われます。

現在の桂林寺本堂は明治25年(1892)に川棚正観寺から移築したもので、寄棟、桟瓦葺、平入、桁行6間、梁間4間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。桂林寺の寺宝である「小山田家伝世の板碑」は応永2年(1395)3月15日の銘と本尊の種字キリーク(阿弥陀如来)が刻まれている板碑で全長51.5cm、幅16cm、建立年が明確で貴重な事から都留市指定文化財に指定されています。彼岸桜は根回り5m、樹高12m、目通幹周3.7m、枝張東西14.5m、南北12m、昭和49年(1974)に都留市指定天然記念物に指定されています。又、境内には小山田家の墓碑が建立されています。山号:富春山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:薬師如来。

【 桂林寺菩提者:小山田氏 】-小山田氏は武蔵国秩父平氏の流れを汲む平重弘の2男、平有重の子供とされる平行重の後裔とされる氏族です。武蔵小山田荘を領した事から地名に因み「小山田」姓を名乗るようになり、源平の合戦では源頼朝に従った事から一定勢力を維持したと思われます。南北朝時代に入ると甲斐守護職の武田家と度々抗争があったものの、姻戚関係を深め、戦国時代には従属するようになっています。一方で郡内領全域を掌握するまで発展し独自の支配権を確立しています。享禄3年(1530)には中津森館から谷村館に本拠を移し領内や城下町の整備を行うなど独自の政策を行いながら武田家の本拠である躑躅ヶ崎館(武田氏館:山梨県甲府市)にも屋敷を構えています。特に谷村には後に甲州街道と呼ばれる大動脈の他、鎌倉街道からは駿河国、笹子峠越えからは甲府や相模国、谷村道からは吉田に通じる事が出来る交通の要衝だった事から各街道の整備と、それを利用した輸送業の保護などを行っています(郡内領には武田家からの発給書も多く複雑な支配体制だった事が窺えます)。

文化面では富士山信仰に傾倒し、富士浅間神社に仕える御使衆を保護、一説には全国に富士山信仰の布教活動を行った御使から各国の情報を聞き出す事に利用したとも言われます。軍事的は武田信玄の命に従い、信濃侵攻や川中島の戦いなどの従軍して功を挙げ小山田信茂は「弓矢の御談合七人衆」に数えられ家臣団の中でも重要視されるようになりました。天正10年(1582)の織田、徳川連合軍による武田領侵攻の際、信茂は当主である武田勝頼を自領の岩殿城に招きながら、突如として武田家から離反して織田側に転じ、勝頼自刃の要因となっています。織田側は信茂の行為を不忠者と断じ、主要な一族は甲斐善光寺の境内で斬首され一勢力としての小山田家は没落しました。桂林寺(山梨県都留市)は小山田家歴代の菩提寺で、桂林寺境内には小山田家の墓碑が建立されています。

桂林寺:写真

桂林寺の石柱山門
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桂林寺本堂左斜め前方からの画像 桂林寺薬師堂正面画像 桂林寺鐘楼と梵鐘 桂林寺境内にある小山田家の墓碑


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