旧仁科家住宅(都留市)概要: 旧仁科家住宅は大正10年(1921)に仁科源太郎(郡内織物会社経営、谷村町議会議員)によって建てられた古民家です。旧仁科家住宅主屋は土蔵2階建、切妻、桟瓦葺、平入、桁行約14.5m、梁間約11m、右端を一間程下げて前庭とし、敷地背後には便所、風呂、土蔵などの付属屋が現存しています。
内部は和風を基調にしているものの、応接間(客間)には白漆喰のレリーフ風の照明や、暖炉、ステンドグラス風の出窓など洋風の要素を取り入れ時代背景が見られます。旧仁科家住宅は都留市内に残る数少ない近代町屋建築の遺構として貴重な存在で平成5年(1993)に都留市指定有形文化財に指定されています。現在は都留市商家資料館として整備され一般公開されています。
【 谷村藩 】−当地は中世以来、郡内地方の中心地として重要視され、特に領主として長く支配した小山田氏は周辺に館を設けて城下町が形成されました。天正10年(1582)、小山田氏は武田家を離反し、武田家滅亡の一因となりましたが、その功績は認められず主君を裏切った俗物として処断され没落しました。
その後は徳川家、豊臣家の家臣達が当地を支配し、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により鳥居成次が1万8千石で入封し谷村藩を立藩しています。
寛永10年(1633)に秋元氏が入封し領内整備が進んだものの宝永元年(1704)に秋元喬知が川越藩に移封となった為、谷村藩は廃藩となっています。当地は城下町としての機能を失ったものの、甲州街道から分岐し富士山の麓までを結ぶ「富士道」の街道沿いにあった為、引き続き交通の要衝として町場が維持されました。
都留市商家資料館:上空画像
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