谷村陣屋(都留市)概要: 谷村陣屋は享禄5年(1532)、武田家の家臣となった小山田信有が築いた谷村城が前身とされます。現在は市役所や小学校、裁判所などが建てられ遺構がなく城としての規模や構造を知る術がありません。背後にある勝山城が詰城とされ谷村城は小山田氏の居館として機能していました。
天正10年(1582)、武田家の滅亡と共に小山田氏も運命を共にますが谷村城はその後も都留地方の中心的機能として残され徳川家康家臣鳥居元忠や豊臣系大名加藤氏、浅野氏が城主となり随時修築や改築が行われました。
慶長5年(1600)に発生した関ケ原の戦いで当時の城主である浅野幸長は東軍に与し功を挙げた事で、紀伊国和歌山37万石の太守として移封となり、代わって甲斐国は徳川十六将の一人平岩親吉が入封し谷村城には鳥居元忠の3男である鳥居成次が1万8千石で配されています。
慶長8年(1603)に後の徳川義直が甲斐国主になると成次は附家老となり、その後も歴代国主の家老を歴任していましたが、跡を継いだ鳥居忠房は、寛永9年(1632)に徳川忠長が改易された事に連座し一族である山形藩主鳥居忠恒に預けられています。
寛永10年(1633)に秋元泰朝がが1万8千石で入封し谷村藩を立藩、谷村城は藩庁が置かれ城下町も整備されます。宝永元年(1704)、秋元富朝の後を継いだ当時の藩主秋元喬知が川越藩(埼玉県川越市)に移封されると谷村藩は廃藩となります。翌年に天領となり、谷村城の一部と思われる場所に石和陣屋の出張陣屋を設けています。陣屋跡も明治時代以降は敷地が整備され明確な遺構がなく現在は裁判所の敷地の一角に陣屋跡を示す石碑のみになっています。
谷村陣屋:上空画像
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