都留市: 長生寺

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概要・歴史・観光・見所
長生寺(都留市)概要: 大儀山長生寺の創建は文明元年(1469)、甲斐国守護武田信昌(武田家16代当主)が鷹岳宗俊禅師を招き開山したのが始まりとされ寺領20石と山林境内1万5千坪が寄進されています。永正9年(1512)には都留郡を支配した小山田出羽守信有が再興し、寺領19貫675文が寄進され境内には七堂伽藍が造営、以後、小山田家の歴代菩提寺として庇護されました。天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田勝頼が自刃、武田家が滅びると小山田家も許されず断絶し、長生寺も庇護者を失い一時衰微しました。その後再建されましたが元和4年(1618)に火災により焼失すると谷村藩初代藩主鳥居成次(徳川家康の忠臣鳥居元忠の3男)により菩提寺として七堂伽藍の造営が行われます。谷村鳥居家は主家である徳川忠長の失脚に連座し没落すると新たに藩主となった秋元氏の菩提寺として庇護され、最盛期には末寺29ヶ寺、修行僧70人をを擁する都留郡屈指の名刹となりました。寛政3年(1791)と明治15年(1882)の火災で鳥居成次が再建したと伝わる中雀門を残して堂宇が焼失し境内が縮小、一時衰退しますがその後随時再建されています。

長生寺中雀門は鳥居成次が再建した当時の唯一残された古建築で切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門形式、江戸時代初期の寺院山門建築として貴重な事から都留市指定文化財に指定されています。寺宝が多く、絵師が不明なものの室町時代の武人画像として貴重な絹本著色小山田出羽守信有画像や永禄7年(1564)に高山左衛門が寄進した狩野安信作の絹本著色釈迦三尊十六善神像、鳥居成次が寄進した狩野派作の紙本金地著色龍虎梅竹画六曲屏風が平成15年(2003)に山梨県指定文化財に指定されています。甲州八十八霊場第八番、甲斐百八霊場第二十五番。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

【 長生寺菩提者:小山田家・鳥居家・秋元家 】-長生寺は戦国期の郡内領主小山田氏、近世期の領主鳥居氏、谷村藩主秋元氏の菩提寺とされますが、小山田氏に限ってみると6代小山田信膳から17代信茂までの墓碑は桂林寺に建立されている為、実質の菩提寺は桂林寺(都留市)だったと思われます。しかし、長生寺に対しては永正9年(1512)に小山田信有が19貫675文、元亀4年(1573)に小山田信茂が5貫850文に寺領を寄進、寺宝として小山田信有の画像を所有している為、関係が深かったと思われます(案内板には長生寺は小山田氏の菩提寺と明記しています)。

慶長5年(1600)、鳥居元忠の3男である鳥居成次が当地に配され谷村藩(都留市)が成立すると、領内の有力寺院だった長生寺が鳥居家の領内菩提寺になったようです。ただし、成次の墓碑は江戸の菩提寺である吉祥寺(東京都文京区本駒込)に建立され、2代藩主鳥居忠房も徳川忠長の附家老だった事から寛永9年(1632)に忠長が改易になると忠房も連座し本家筋の出羽山形藩主・鳥居忠恒に預かりになった為、長生寺に墓碑は存在しません(忠恒の墓碑も吉祥寺に建立されています)。鳥居家が改易になった翌年の寛永10年(1633)に上野国総社藩(群馬県前橋市総社)から秋元泰朝が入封し再度谷村藩が成立すると長生寺が秋元家の菩提寺になったとされますが、旧領である上野国総社(群馬県前橋市総社)にも秋元家歴代の菩提寺である光厳寺が引き続き存在し墓碑も存在する事から、長生寺に藩主の菩提が葬られていないように思われます。

長生寺の文化財
・ 小山田出羽守信有画像−室町時代−山梨県指定文化財
・ 小山田信茂寺領書立文書−室町時代−都留市指定文化財
・ 竜虎梅竹の画六曲一雙−桃山時代−山梨県指定文化財
・ 釈迦三尊十六善神像−永禄7年−山梨県指定文化財
・ 長生寺の中雀門−元和4年−都留市指定文化財
・ 長生寺の涅槃図−都留市指定文化財

長生寺:写真

長生寺
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