勝山城(都留市)概要: 勝山城は享禄5年(1532)、武田家の家臣となった小山田信有が築いた谷村城の詰城として築かれたと推定されている山城です。
標高571m、比高100mの独立した城山に位置し、山頂付近の本丸を中心に2の丸、3の丸が配され、川棚見張台や内堀、外堀、主要箇所には石垣が設けられました。居館として利用された谷村城とは2本の内橋によって連結され、一体的で機能していたと思われます。
天正10年(1582)、武田家の滅亡と共に小山田氏も運命を共にますが勝山城はその後も城砦として残され徳川家康家臣鳥居元忠や豊臣系大名加藤氏、浅野氏が城主となり随時修築や改築が行われました。
特に浅野家の家老である浅野氏重が都留郡に配されると本格的な城郭へと修築、拡張が行われ、勝山に鎮座していた八幡神社も八窪山に遷されています。
江戸時代に入ると勝山城は詰城として重要性が失われ事実上廃城になったと考えられています(勝山城には谷村藩主となったは秋元氏が茶壺蔵を設けたとも伝えられていますが、具体的な遺構は不明。秋元喬知の代の元禄3年(1690)に御茶壷道中が甲州街道の利用を禁止された事で利用される事が無くなったとも云われています)。
現在本丸には日光東照宮(栃木県日光市)の分霊を勧請した谷村東照宮が鎮座しています。勝山城の跡地は中世の山城として貴重な事から平成10年(1998)に都留市指定史跡に指定されています。
勝山城:上空画像
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