谷村藩

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概要:歴史・観光・見所
谷村藩概要: 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで大功があった鳥居元忠の3男鳥居成次が1万8千石が与えられ谷村藩(山梨県都留市)を立藩しています。慶長8年(1603)に徳川義直(徳川家康8男)が甲府藩に入封すると元忠は附家老に就任している事から形式上谷村藩は廃藩となっています。慶長12年(1607)義直が犬山城(愛知県犬山市)に遷った際、成次は谷村城に留まった為、形式上は谷村藩が再立藩しています。元和2年(1616)に徳川忠長(徳川秀忠3男)が甲府藩に入封すると再び附家老となり、寛永元年(1624)に3万5千石に加増されています。成次は社寺の保護も積極的に行い、。慶長17年(1612)には御室浅間神社本殿(山梨県富士河口湖町)、元和2年(1616)には北口本宮富士浅間神社(山梨県富士吉田市)の本殿の造営し、慶長6年(1601)には保福寺(山梨県上野原市)には寺領を安堵しています。

その後、鳥居忠房が家督が継ぎましたが寛永9年(1632)に改易、寛永10年(1633)には秋元泰朝が1万8千石で入封しています。泰朝は十日市場から谷村に至る谷村大堰を開削、城下町の整備の際には円通院を現在地に境内を遷し、寛永15年(1638)に秋元家の菩提寺となる泰安寺を創建しています。跡を継いだ秋元富朝は植林事業を行う一方で北口本宮富士浅間神社を篤く庇護し社殿の修築しています。3代秋元喬知は新倉掘抜の開削や領内の検地など領内の整備を行う一方で、北口本宮富士浅間神社の大鳥居の造営や富士山北面の画の寄進、河口浅間神社には扁額を寄進しています。宝永元年(1704)に喬知が川越藩に移封になると、谷村領は甲府藩に組み込まれた為、谷村藩は廃藩となっています。

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谷村藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代鳥居成次1600〜1631年3万5千石 
2代鳥居忠房1631〜1633年3万5千石 
3代秋元泰朝1633〜1642年1万8千石 
4代秋元富朝1643〜1657年1万8千石 
5代秋元喬知1657〜1711年5万石 

谷村藩・城下町:町並み
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藩庁
谷村城
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谷村陣屋
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菩提寺
長生寺
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祈願所
生出神社
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崇敬社
北口浅間神社
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崇敬社
河口浅間神社
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御室浅間神社
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円通院
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