秋元泰朝

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秋元泰朝(谷村城)
【 概 要 】−秋元泰朝は天正8年(1580)、総社藩(群馬県前橋市総社町)初代藩主秋元長朝の子供として生まれました。慶長19年(1614)に発生した大坂冬の陣では大坂城の堀に埋め立てを担当し、慶長20年(1615)に発生した大坂夏の陣では豊臣軍の掃討作戦に参加しています。元和9年(1623)越前北ノ庄(福井)藩2代藩主松平忠直(徳川家康の孫、結城秀康の長男)が不行跡により強制隠居になると、幕府の裁定により高田藩主で弟である松平忠昌が家督を継ぐ事になり、その旨を伝達する為に諸氏と共に泰朝も派遣され、忠昌が北ノ庄(福井)藩主に着任するまで藩政の補佐を行っています。

寛永5年(1628)長朝の死去に伴い秋元家の家督を継ぎ、総社藩2代藩主に就任、寛永10年(1633)に谷村藩(山梨県都留市)1万8千石に移封となっています。秋元泰朝は藩庁が置かれた谷村城谷村陣屋)の城下町の建設に尽力し泰安寺の創建や円通院を現在地に遷しています。又、泰朝は養蚕業の先進地だった上州を領していた事から谷村藩でも、その技術を導入し産業発展に尽力しています。寛永11年(1634)には日光東照宮(栃木県日光市)大造営の奉行に抜擢されています。寛永13年(1636)には谷村大堰開削工事を着工しています。寛永19年(1642)死去、享年62歳、戒名:照尊院殿道哲泰安大居士、家督は秋元富朝が継いでいます。

秋元泰朝は社寺の保護を行い、寛永10年(1633)には北口本宮富士浅間神社(山梨県富士吉田市)の大鳥居の「三国第一山」の扁額を奉納、同年には諏訪神社(生出神社)を崇敬、同年には円通院に寺地を寄進し境内を移転、寛永18年(1641)には秋元家の菩提寺となる泰安寺を亮海僧正(群馬県渋川市ある真光寺の僧侶)を招いて創建(長生寺も秋元家の菩提寺とされますが詳細は不詳)、同年には北口本宮富士浅間神社の境内社である諏訪神社の前に富士山遙拝の大鳥居を造営しています。

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