田原の滝(都留市)概要: 田原の滝は富士五湖の1つ山中湖を水源とした桂川の上流の田原と十日市場の境に位置しています。富士山の火山活動で溶岩が冷却凝固して形成された柱状節理は桂川の侵食により美しい渓谷美を造り出し、往時は名瀑として白根の滝、白滝との異名がありました。
天和2年(1682)の大火で芭蕉庵が焼失し江戸を追われた松尾芭蕉は都留在住の弟子である高山傳右衛門(秋元但馬守喬朝の国家老。俳号麋塒。)を頼り約半年間(天和2年12月28日〜天和3年5月頃)、都留に滞在、その際、田原の滝を訪れ「勢ひあり 氷消えては 瀧津魚」の句を残しています。
又、文人で旧津藩江戸藩士(当時は浪人)であった藤堂良道が文政8年(1825)から翌年にかけて甲斐を旅しており「田原飛瀑」と題した「瀑流知幾懸。水棚引澆田。雷吼降巌石。籠跳走谷川。沫飛常起雨。瀾碎己生煙。請看山村利。全存此一泉。」の五言律詩が詠まれています。
田原の滝:上空画像
田原の滝は水流が豊富、かつ地盤的には脆い構造だった事が特徴の1つで往時は2段で構成されていた滝姿が、明治31年(1898)に両岸が崩れて一段となり、さらに関東大震災以降も崩壊が続き、上流に約30m後退し、その都度人工の護岸整備した為、自然の渓谷美も次第に失われました。
近年になり、現在残された柱状節理を利用しつつ、人工であるもののコンクリートの砂防えん堤や護岸を「柱状節理」を模した意匠にする事で周辺の景観に溶け込むように工夫されています。田原の滝は地学的にも大変貴重とされ平成17年(2005)に都留市指定名勝に指定されています。
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田原の滝:周辺駐車場マップ
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