勝沼氏館(甲州市)概要: 勝沼氏館は山梨県甲州市勝沼町勝沼に位置する城郭です。勝沼氏館は戦国時代の永正17年(1520)頃、武田信虎の実弟、次郎五郎信友が勝沼氏を名乗り築城した中世戦国時代の領主の居館です。
信友は武田氏の一族として信任が特に厚かったとされ甲府盆地の東端の交通の要衝で北条方の領地に接するこの地に配されたと思われます。
その信友は天文4年(1535)の北条氏綱との戦い(山中の戦い)で都留郡山名湖の湖畔で戦死、跡を継いだ信元も信玄の有力部将として各地で転戦しますが永禄3年(1560)、信玄に対し謀反を企てた罪で誅殺、勝沼氏は断絶します。信元の妹、理慶尼(雨宮家から離縁され大善寺の尼となった。)は、武田勝頼の最後を書きとめた事で知られ「理慶尼記」や「武田滅亡記」、「武田勝頼滅亡記」などと称されています。
勝沼氏館は東西90m、南北60m主郭を中心に3方を2重の堀と土塁で囲み、一方を日川に面した崖を背負う居館で発掘調査により建物跡、門跡、水溜、側溝、土塀、生活用品、武具類、宗教用具などの遺構が発見され、当時の部将クラスの生活が分かるものとして昭和56年(1981)に国指定史跡に指定されています。
江戸時代に入ると城下町は甲州街道の勝沼宿として整備されましたが一角には勝沼氏の菩提寺とされる泉勝院が境内を構え信友や信友夫人の位牌が安置され歴史を伝えています。
勝沼氏館:上空画像
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