勝沼宿(甲州市)概要: 勝沼宿は甲州街道の開削に伴い元和4年(1618)に開かれた宿場町です。中世は武田信虎(武田信玄の父親)の勝沼信友が領主として館(勝沼氏館:国指定史跡)を構え城下町として発展しましたが、武田氏が滅びると廃城となっています。
勝沼氏館の城下町の一角には菩提寺である泉勝院が境内を構え僅かに名残が残されています。
江戸時代に入ると甲州街道の宿場町と共に甲州盆地の東端に当る為、物資の集積地となり経済的に発展し、天保14年(1843)には総家屋192軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒、問屋場1ヶ所、継立人馬25人・25匹、高札場1ヶ所を備えました。万治元年(1658)から市が始まり、寛文12年(1672)には上中下の3ヶ所で市が開かれるようになりました。
江戸時代末期には戊辰戦争の舞台にもなり甲府城を攻略した新政府軍と奪還を目指した幕府軍(主力は近藤勇が率いた新撰組)とが交戦し、近代兵器の前に幕府軍が大敗しています。
明治時代に入り衰退しましたが勝沼宿に江戸時代後期に建てられた仲松屋主屋や明治20年(1887)の大火後建てられた3階建て土蔵(地下1階)、明治30年(1897)に建てられた旧田中銀行社屋(国登録有形文化財)、本陣前にう植えられた松の大木(身分が高い人物が宿泊や休息で利用した際、その目印として槍を立て掛けた事から「本陣槍掛の松」の異名があります)などが残され甲州街道の宿場町の郷愁を感じさせてくれます。
勝沼宿:上空画像
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