鶴瀬宿(甲州市)概要: 鶴瀬宿は甲州街道の宿場町で、江戸から数えると31宿目に当たり、江戸へは30里27丁、甲府へは5里1丁の位置に当ります。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠4軒、問屋1軒、家屋58軒が設けられ継立は1ヶ月の1日から20日まで行われ、残りは駒飼宿により行われました。笹子峠を控えた事もあり宿場には鶴瀬関所が設置され、人や荷物の出入りが管理され、特に女性と鉄砲は厳重に嫌疑を受けたとされます。その為、山沿いには抜け道があり関所を回避する人が後を絶たなかったと伝えられています。明治維新後に街道制度が廃止になると明治2年(1869)には関所も廃され鶴瀬宿の重要性が失われ衰微しました。宿場としての遺構は少なく「金岡自画地蔵尊碑(平安時代初期の大和絵の絵師、宮廷画家として名を馳せた巨勢金岡が地蔵尊を描いたとされます。江戸時代には雨の日に描いた岩が濡れると浮かび上がっていましたが明治40年(1907)の大洪水により流失しています。現在は跡地に改めて石碑が建立されています)」や「常夜塔」などがありますが町並みとしては少々寂しい印象があります。
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