・波木井氏館は鎌倉時代中期頃に南部実長が居館として築城したと推定される中世の城郭です。
実長は南部光行の3男として生れ、現在の山梨県南巨摩郡身延町梅平一帯である波木井郷に配され、地名に因み「波木井」姓を掲げました。
父親の光行は源平合戦や奥州合戦で源頼朝に従い戦功を挙げ陸奥国糠部五郡(五郷?)を与えられた為、一族の多くが陸奥国に下向したのに対し、実長は当地に留まり、幕府の御家人であると同時に波木井郷の地頭職を担いました。
実長は文永6年に鎌倉で日蓮上人の説法を聞いて以来、日蓮上人に篤く帰依し、文永11年に佐渡島に流罪となり鎌倉に帰郷した日蓮を自領に招き入れ、弘安4年には日蓮を住職とする「妙法華院久遠寺」を開創し、十間四面の本堂を造営しています。
跡を継いだ南部実継も日蓮宗を庇護し、日蓮宗を弾圧した鎌倉幕府とは潜在的に敵視していた事から、早くから討幕運動に参加し、元弘の変では護良親王、尊良親王と共に赤坂城に籠城戦を行っています。
しかし、討幕軍は敗北、実継も捕縛され六条河原で斬首されています。
実継の跡を継いだ、長継は南北朝時代に南朝に与し、娘婿となった南部師行は八戸に本拠地を遷した為、波木井氏館は廃城となっと思われます。
波木井氏館の跡地には明瞭な遺構はありませんが、頂部の平坦地が館跡とされ、麓には南部(波木井)実長の墓碑が建立され、近隣にある身延山鏡圓坊の境内は波木井南部家の居館が設けられたとも云われています。
波木井氏館の跡地は貴重な事から身延町指定史跡に指定されています。
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