・一橋徳川家は江戸幕府8代将軍徳川吉宗の4男である徳川宗尹が享保20年に3万俵を賜り別家を創設したのが始まりとされます。
延享3年、新規に賄料領地として武蔵国、下総国、下野国、甲斐国、和泉国、播磨国、備中国内が加増され合計10万石に達しています。
上記の内、甲斐国内3万44石支配の行政施設として陣屋が設けられました。
当初じゃ双葉町宇津村にありましたが、宝暦2年に現在地である河原部村に遷しています。
当地は甲州街道の宿場町である韮崎宿で人々の往来が多く物資の集積地でもあり行政の中心としては相応しい土地柄でした。
陣屋では租税の徴収や、司法執行等が行われています。
陣屋は東西約33m、南北が約52m規模で、敷地内には本屋の他、土蔵や長屋、同心の役宅等があったとされます。
明和元年に宗尹が死去すると、治済が跡を継ぎ、寛政6年に陣屋を現在の静岡県榛原郡相良町に陣屋を遷した為、当地の陣屋は廃されています。
山梨県:城郭・再生リスト
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