源義清公館

山梨県:歴史・観光・見所山梨県の城郭>源義清公館
源義清公館:略データ
・場 所・山梨県中巨摩郡昭和町西条
・築城年・平安時代後期
・築城者・源義清
・城 主・源義清
・構 造・平城(居館)
・文化財・昭和町指定史跡
・指定日・昭和53年9月16日
・概 要・義清館は平安時代後期に源義清が居館として設けたとされます。

源義清は甲斐源氏初代当主源義光の3男として生れ、常陸国那珂郡武田郷に配された事から地名に因み「武田冠者」を名乗ったとされます。

大治5年に領地の境界を巡り、常陸の在庁官人である大掾盛幹と戦となり大敗、天承元年に甲斐国市河荘に流されています。

当初は巨摩郡平塩岡に館を構えましたが、晩年は当地に館を遷し、久安元年に市河荘で死去しています。

義清神社は、館の跡地に社殿を造営し義清の御霊を勧請し、義清大明神として奉斎した神社で、境内西にある「おこんこん山」は義清の墳墓と伝えられています。

境内と「おこんこん山」は発掘調査も行われ、境内の南辺は防衛的役割を持った土塁の一部が確認、12世紀代の土師質土器が発見され、考古学上からも検討が加えられています。

その結果、平安時代後期から末期頃の土塁を伴う相当広い生活空間が確保されている事から、特定階級や相当な勢力を持った人物の居館と考えるのが妥当とされています。

一方、「おこんこん山」は高さ3m程の円墳状の形状で、複数の遺物が発見されたものの、どの時代のものかは判明出来なかったとされます。

江戸時代末期に編纂された「甲斐国志」には「義清社ノ傍二奥槨ノ墳アリ」と記されています事から少なくとも江戸時代には既に存在していた事が判ります。

源義清公館跡は貴重な事から昭和町指定史跡に指定されています。

源義清公館(義清神社):付近地図
秋山光朝館甘利氏館馬場美濃守屋敷深草館一橋陣屋一条氏館岩崎氏館浄古寺城
鎌田氏館川田館栗原氏館教来石民部館曲渕氏屋敷長閑屋敷波木井氏館小笠原長清館
清水陣屋下曽根氏屋敷武田金吾屋敷武田信春館武田信成館武田信義館田安陣屋
椿城(上野城)内城館屋代氏館安田義定館谷戸城源義清公館
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「山梨県:歴史・観光・見所」は「山梨県の歴史」、「郷土資料辞典−山梨県」、「日本の城下町−関東」、「城郭と城下町−関東」、「甲州街道」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。