川浦口留番所(山梨市)概要: 雁坂街道(道)は甲斐(山梨県)と武州(東京都、埼玉県、神奈川県の一部)を繋ぐ街道で往時は甲斐9筋(駿州往還(河内路)・中道往還(右左口路)・若彦路・甲斐路(御坂路)・青梅街道(萩原路)・秩父往還道(雁坂路)・穂坂路・大門嶺口・信州往還(逸見路))の1つとして重要視されました。
道筋が秩父大宮(埼玉県秩父市)から荒川渓谷、雁坂峠を経て甲府に至ることから秩父往還道や秩父甲州往還、甲州路、信玄路などの別称があり、江戸時代には甲州街道の裏街道として多くの往来がありました。
永徳4年(1384)には川浦口留番所が設置され、戦国時代には武田信玄の北武蔵侵攻や秩父で産出された金を運ぶ為にも利用されました。江戸時代中期以降は民衆の行楽が盛んになり秩父霊場や富士山登拝、身延講などの信仰の道、物資の輸送が盛んになると中馬にも利用されました。
江戸時代の川浦口留番所は概ね15坪の敷地に番屋と門が設けられ、番人は1日2人ずつ24時間体制で番所を守り、川浦6番、下荻原2番、上柚木4番、下柚木8番、上釜口2番、下釜口2番、徳和6番、合計30番で1ヶ月が賄われていました。川浦口留番所跡は往時の交通史にとって貴重な事から平成8年(1996)に山梨市指定史跡に指定されています。
川浦口留番所:上空画像
|