山梨岡神社(歴史・伝説)概要: 山梨岡神社の創建は不詳ですが境内には奇岩怪石が点在している事から、それらを神々が降臨する磐座と見立てた、自然崇拝的な信仰が行われていた場所だったと考えられています。伝承によると、山梨岡神社が鎮座する石森山は伝説上の巨人デイラボッチ(ダイダラボッチ)が石を積み上げて造ったと伝えられ、現在でも境内には巨人が履くのに相応しい巨大な大草鞋が奉納されています。又、社伝によると景行天皇41年(記紀を信じれば西暦111年)、日本武尊が東夷東征を完遂し凱旋帰国の行軍中にこの地を訪れ際に勧請したのが始まりとされ、天武天皇9年(670)に祈年祭に幣帛を受け、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社の論社でもあります。
歴代領主等からも崇敬庇護され、神護景雲2年(768)には坂上苅田丸(坂上田村麻呂の父親、奈良時代の公卿・武人)、文治3年(1187)には加賀美遠光(甲斐源氏の祖とされる源義光の孫とされる源清光の4男)が社殿を造営し、文明6年(1474)、永禄6年(1563)、天和2年(1682)にもそれぞれ社殿が造営されたとされます。
江戸時代に入ると幕府が庇護し社領として朱印地2石5斗余、黒印地3石7斗余が安堵され、天和2年(1682)には幕臣の石谷氏と蒔田氏が社殿を造営しています。古くから神仏習合してきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治6年(1873)に郷社に列しています。
現在の山梨岡神社本殿は天和2年(1682)に造営され元禄16年(1703)に大改修されたと推定されるもので(修理の際元禄16年に修復した旨の墨書が発見された。)、2座相殿(熊野大権現・国建大明神)の2間社流造、銅板葺、正面一間向拝、三方浜縁、脇障子、外壁は真壁造り板張り、身舎は円柱、彫刻や工法など江戸時代初期の神社本殿建築を継承する存在として貴重な事から昭和35年(1960)に山梨県指定文化財に指定されています。
山梨岡神社拝殿は木造平屋建て、寄棟、鉄板瓦棒葺き、平入、桁行5間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。境内に生える「石森山のハリモミ」は樹高約23m、幹周約1.7m、平地で自生するのは大変珍しい植生とされ平成14年(2002)に山梨市指定天然記念物に指定されています。
又、当地が「石森山」、「石森丘」と呼ばれていた事から石森神社、祭神として熊野大権現が祭られていた事から熊野神社と呼ばれていたとされます。祭神:伊弉冉尊、事解男命、速玉男命、国常立尊、大国主命、少彦名命。
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