大井俣窪八幡神社

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概要・歴史・観光・見所

大井俣窪八幡神社(山梨市)概要: 大井俣窪八幡神社は山梨県山梨市北に鎮座している神社です。大井俣窪八幡神社の神仏習合時代の名残である鐘楼大井俣窪八幡神社の創建は貞観元年(859)、清和天皇の勅願により、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。格式も高く「三代実録」によると貞観5年(863)には従五位下、「日本紀略」によると天慶3年(940)に従四位下に列していた事が記載されています(一方、延喜式神名帳に式内社として記載されてる大井俣神社の論社でもあります)。当初は笛吹川と重川の中島大井俣の地に鎮座し大井俣神社と称していましたが、平安時代末期の康平年間(1058〜1065年)、甲斐源氏の祖と云われる新羅三郎義光が現在地である窪へ遷座した為、大井俣窪八幡神社と呼ばれるようになりました。

以来、甲斐源氏、武田家歴代の崇敬社となり「西の武田八幡、東の窪八幡」とも詠われる程、篤く信仰し合戦の折には戦勝祈願が行われ、社殿の造営や社領の寄進などを行いました。

応永17年(1410)、当時の甲斐守護職武田信満により社殿が再建され、明応9年(1500)には武田信昌が式内社と高良社を再建しましたが永正13年(1516)、大永元年(1521)と度重なる今川氏の甲斐侵攻の兵火により本殿以外の多くの社殿が焼失し、大永2年(1522)に今川勢が撤退するとようやく境内の整備が進み大永5年(1525)には普賢堂、薬師堂、鐘楼などが再建されます。

天正10年(1582)、武田家が滅ぶと織田信長が社領を没収するという混乱が起きますが、後に領主となった徳川家康から社領が安堵され、寛永2年(1625)には徳川忠長(2代将軍徳川秀忠の3男:甲府藩主)が末社である比梼O神本殿を再建(伝)しています。

古くから神仏習合し別当には入幡山普賢寺があたっていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、県社に列し、境内に残る鐘楼(寄棟、檜皮葺、桁行1間、梁間1間、袴腰付)や如法経塔(安山岩製、高さ1.4m)が僅かに神仏習合時代の名残を見せています。祭神:誉田別尊(中殿:応神天皇)、足仲彦尊(北殿:仲哀天皇)、息長足姫尊(南殿:神功皇后)。

現在の大井俣窪八幡神社本殿は応永17年(1410)に武田信満が再建され、享禄4年(1531)に武田信虎が修復、弘治3年(1557)武田晴信(後の武田信玄)が扉を奉納し金箔に仕上げたもので十一間社流造(三間社流造の社殿が1間置きに配され連結されている)、檜皮葺、室間時代中期の大型(国内最大級)神社本殿建築の遺構として大変貴重な事から昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。

大井俣窪八幡神社拝殿は弘治3年(1557)に武田晴信(後の武田信玄:村上義清攻めの戦勝祈願と思われます。)が再建したもので木造平屋建て、切妻、檜皮葺、平入、桁行11間、梁間3間、外壁は真壁造板張り、室町時代に建てられた大型社殿建築の遺構として貴重な事から昭和24年(1949)に国指定重要文化財に指定されています。

大井俣窪八幡神社神門は永正8年(1511)武田信虎によって造営されたもので、切妻、檜皮葺、一間一戸、四脚門、古式を伝える遺構として貴重な事から附として石橋と共に国指定重要文化財に指定されています。

鐘楼は天文22年(1553)に造営されたもので寄棟、檜皮葺、桁行一間、梁間一間、袴腰付(板張り、縦押縁押え)、上層部高欄付き、外壁は柱のみの吹き放し、室町時代末期の鐘楼建築の遺構として貴重な事から昭和54年(1979)に山梨県指定文化財に指定されています。

大井俣窪八幡神社の文化財
・ 大井俣窪八幡神社本殿附旧壁板−応永17年−国指定重要文化財
・ 大井俣窪八幡神社拝殿附鰐口−天文3年・天文22年−国指定重要文化財
・ 若宮本殿−応永7年−三間社流造、檜皮葺−国指定重要文化財
・ 若宮拝殿−天文5年−入母屋造、檜皮葺−桁行4間、梁間3間−国重文
・ 武内社−明応9年−一間社流造、檜皮葺−国指定重要文化財
・ 高良社−明応9年−一間社隅木入春日造、桧皮葺−国指定重要文化財
・ 大井俣窪八幡神社神門附石反橋−永正8年・天文4年−国指定重要文化財
・ 大井俣窪八幡神社大鳥居−天文4年(木造としては国内最古)−国重文
・ 比メ三神−寛永2年−一間社流造、銅板葺−国指定重要文化財
・ 如法教塔−天文元年−山梨県指定文化財
・ 木造狛犬六駆−天文17年−檜材、寄木造、彩色−山梨県指定文化財
・ 大井俣窪八幡神社境内古絵図−天文19年−山梨県指定文化財
・ 大井俣窪八幡神社鐘楼−天文22年−山梨県指定文化財
・ ブッポウソウ等繁殖地−山梨市指定文化財
・ 板絵著色三十六歌仙図(権少僧都宥純作)−山梨市指定文化財

大井俣窪八幡神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ


大井俣窪八幡神社:ストリートビュー

大井俣窪八幡神社:社殿・境内・写真

大井俣窪八幡神社の参道に設けられた木造大鳥居を撮った画像
[ 付近地図: 山梨県山梨市 ]・[ 山梨市:歴史・観光・見所 ]
大井俣窪八幡神社神門と石造社号標 大井俣窪八幡神社神門から見た歴史が感じられる境内 大井俣窪八幡神社の境内に作庭された庭園の心字池 大井俣窪八幡神社庭園の心字池沿いにある参拝者の身を清める手水舎 大井俣窪八幡神社の末社である比梼O神(旧弁財天)本殿
大井俣窪八幡神社の石垣、石造狛犬、石灯篭 大井俣窪八幡神社参道から見た重厚な拝殿の正面 大井俣窪八幡神社拝殿正面アップ 大井俣窪八幡神社拝殿外壁、縦長画像 大井俣窪八幡神社本殿右斜め正面
大井俣窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿 大井俣窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿 大井俣窪八幡神社末社武内大神本殿 大井俣窪八幡神社末社武内大神本殿 大井俣窪八幡神社末社高良神社本殿


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