石和八幡宮

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概要・歴史・観光・見所
石和八幡宮(笛吹市)概要: 石和八幡宮は山梨県笛吹市石和町市部に鎮座している神社です。石和八幡宮の創建は不詳ですが、当地域の産土神として景行天皇27年(西暦97)に勧請され、成務天皇5年(西暦135年)に物部神社の社号を賜り朝廷からも崇敬されていました。建久3年(1192)、武田信義5男の信光が石和の地に配されると石和五郎信光を名乗りが鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の分霊を勧請合祀しました。五郎信光は5男だったものの武田家宗家を継いだ為(他の兄弟は源頼朝から事実上排除されたと見られています)、当地が武田家の本拠、甲斐国の守護所となり石和八幡宮は石和郷の産土神はもちろん、武田家の氏神として代々崇敬され、甲斐源氏の射法相伝の儀式は全て当社で行われたと云われています。

又、源頼朝も崇敬し社領五百貫と「うつしては 同じ宮ゐの神垣に 汲みてあふかむ 美たらしの水」の和歌を奉納し庇護しています。永正16年(1519)、武田信虎が躑躅ケ崎(武田氏館)に居城を移すと石和八幡宮の分霊が府中(山梨県甲府市)に勧請され府中八幡神社が創建すると、信仰の中心が府中に移りました。しかし、甲斐国内の神社が府中八幡宮への参勤が義務付けられる中、当社はその義務が免除されるなど、一定の配慮がなされ、引き続き武田家の庇護がありました。天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻で武田家が滅ぶと、織田勢の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失して衰退しましたが、後に領主となった徳川家康や豊臣系大名が庇護した為再興しています。

江戸時代に入っても浅野長政以来、甲府藩主や歴代領主(甲府城勤番)が参拝するのが常となり多くの絵馬などが絵馬などが奉納され、11点が笛吹市指定文化財に指定されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治6年(1873)に郷社(後に村社)に列しました。近年まで安永3年(1774)に再建された社殿がありましたが、放火により焼失し旧態を保っている石和八幡宮の社殿は随神門(切妻、鉄板葺、三間一戸、八脚単層門、左右に随身像安置)だけとなりました。祭神:応神天皇、比売大神、神功皇后、天足彦国押人命、稚城瓊入彦命。

石和八幡宮(拝殿・随身門):写真

石和八幡宮境内正面に設けられた大鳥居と神橋
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石和八幡宮石造神橋越に見える随身門 石和八幡宮随身門とその前に置かれた石造狛犬 石和八幡宮拝殿正面と境内に設けらえた手水舎 石和八幡宮本殿と幣殿


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