福光園寺(笛吹市)概要: 大野山福光園寺は山梨県笛吹市御坂町大野寺に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。福光園寺の創建は推古天皇16年(608)、聖徳太子が開いたのが始まりと伝えられています。奈良時代の養老年間(717〜723年)には行基菩薩が訪れ香王観音を自ら彫りこみ、平安時代には真言宗の開祖弘法大師空海が祈祷により牛池を出現させるなど寺運も隆盛します。その後に衰退しましたが、平安時代後期の保元2年(1157)に当地の領主大野対馬守が中興開基となり、賢安上人を招き中興開山し大野寺と称するようになります。鎌倉時代の寛喜3年(1231)には甲斐の国主級の在庁官人である三枝氏が大仏師蓮慶に刻ませた「木造吉祥天女像」を寄進しています。
中世に入ると武田家から庇護され、本尊の不動明王は武田信玄(武田氏館の城主)が川中島の合戦の折、戦勝祈願の為寄進したものと伝えられ、天正2年(1574)に大野山福光園寺に改称しています。天正10年(1582)に武田家が滅ぶと、その後に領主となった徳川家の庇護となり江戸時代には朱印状が発布されています。福光園寺は天正元年(1573)、安永7年(1778)、寛政12年(1800)と数度の火災により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しています。
福光園寺は寺宝が多く、吉祥天像は檜材、寄木造、彩色、玉眼嵌入像高108.8cm、脇侍である持国天像は檜材、寄木造、彩色、玉眼嵌入像高116.8cm、多聞天像は檜材、寄木造、彩色、玉眼嵌入像高118.7cm、何れも寛喜3年(1231)に住職である良賢が発願、大旦那である三枝氏が寄進、仏師蓮慶が彫刻したもので大変貴重な事から名称「木造吉祥天及び二天像」として昭和58年(1983)に国指定重要文化財に指定されています。
香王観音立像は福光園寺が管理する観音堂に安置され藤原時代に制作されたもので、欅材、一木造、像高152cm、貴重な事から昭和34年(1659)に山梨県指定文化財に指定されています。
福光園寺山門(三密門)は寛文12年(1672)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、一間一戸、四脚鐘楼門、桁行2間、梁間2間、江戸時代初期の寺院楼門建築の遺構として貴重な事から平成19年(2007)に笛吹市指定文化財に指定されています。
福光園寺本堂(毘沙門堂)は天保3年(1832)に造営されたもので、宝形造、桟瓦葺き、桁行3間、梁間3間、正面軒唐破風、江戸時代後期の御堂建築の遺構として貴重な事から笛吹市指定文化財に指定されています。甲斐百八霊場第40番。山号:大野山。宗派:真言宗智山派。本尊:不動明王。
福光園寺の文化財
・ 木造吉祥天女座像と二天立像−寛喜3年−国指定重要文化財
・ 木造香王観音像−藤原時代−山梨県指定文化財
・ 三密門(鐘楼門)−寛文11年−笛吹市指定文化財
・ 本堂(毘沙門堂)−天保3年−笛吹市指定文化財
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福光園寺:上空画像
【 ポイント 】山梨県内の寺院や神社の由緒には三枝姓が散見されますが、中でも福光園寺は吉祥天像を奉納した事が銘によって明確に判る為、代表的な存在です。三枝氏の出自ははっきりしませんが、甲斐国の古代豪族の流れを汲む可能性があり、大和朝廷の権威が甲斐国まで及ぶと在庁官人として従い、有力な社寺の保護を行っていたのかも知れません。鎌倉時代に入ると甲斐源氏が台頭する中、三枝氏一族もまだ一定以上の勢力があった事が窺えます。
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