八田家書院(笛吹市)概要: 八田家書院は山梨県笛吹市石和町八田に位置しています。八田家は常陸国宇都宮家の一族出身とされ戦国時代には武田家の蔵前奉行を嘱した家柄で、武田勝頼からは末木村が与えられた事から領主として地名に因み末木氏を称しました。天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅ぶと、その兵火により屋敷も全焼したと伝えられています。
その後、徳川家に許され慶長6年(1601)には都留郡富士根の木材で再建し諸役免許状(朱印状)を賜るなど郷士(地方在住の武士)として取り立てられ八田姓に複しています。
現在の書院がその当時のものとされ東側入母屋、西側寄棟、茅葺、桁行7間(12.74m)、梁間3間半(6.39m)、内部は東西三列の配置構成で西から順に「奥の間(畳9帖、床の間、付書院付)」、「中の間(畳10帖、2間分の床の間付)」、「三の間(畳8帖)」が配され東側に格式の高い式台付玄関が取り付けられ、主に身分の高い人物の接客や応接の場所として利用されていました。
八田家書院は桃山時代末期の武家書院建築として貴重な存在で棟札(土蔵:文久元年)や古文書(永々日記:安永〜寛政年間・家政歴年誌:寛政〜明治時年間・地相図面)、絵図(八田村古絵図)などと共に昭和36年(1961)に山梨県指定文化財に指定されています。
又、敷地は東西120m、南北150m、周囲を幅7〜8mの堀と土塁で囲う大庄屋や名主屋敷で見られる構成で「八田家御朱印屋敷」として昭和44年(1969)に山梨県指定史跡に指定されています。正面の長屋門は寛文元年(1661)に石和陣屋の表門として建立されたもので明治7年(1874)、払い下げを受けて八田家の表門として移築されました。
八田家書院:上空画像
長屋門を簡単に説明した動画
|