黒野田宿(大月市)概要: 黒野田宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒と比較的小さな甲州街道の宿場町でしたが笹子峠を控えていることもあり、多くの旅人達が利用したと思われます。旧本陣だった天野家の建築年代は不詳ですが木造2階建、切妻、平入、桟瓦葺、間口が広く本陣としての威容は健在で当時の表門と思われる棟門も現存しています。宿場の中程に建立されている笠懸地蔵は天保の大飢饉によって一揆が発生しその供養の為、安政2年(1858)に創建したそうです。普明禅院の創建は天正11年(1583)、後に黒野田宿の本陣職を勤めた天野家の祖となった天野景信が父親である天野景貫を開基として開いたのが始まりとされます。
天野景貫は今川氏の家臣でしたが、永禄11年(1568)に今川氏が滅びると徳川氏に仕え、元亀3年(1572)に武田信玄が侵攻すると武田家の家臣となっています。しかし、天正10年(1582)に武田家が滅びると、当地に逃れ土着し、江戸時代に入り甲州街道が開削されると黒野田宿の有力者となっています。
境内に建立されている毘沙門堂の本尊である毘沙門像は天野景貫の身長に合わせて製作されたもので、胎内仏は行基菩薩作で阿弥陀海道宿の阿弥陀堂の本尊だったものを当寺に遷したものと伝えられています。境内には芭蕉句碑「行くたびに いどころ変わる かたつむり」と一里塚碑(江戸日本橋より二十五里)が建立されています。
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