初狩宿(大月市)概要: 初狩宿は下初狩宿と中初狩宿の2宿で1つの宿場の任を担い、月の前半15日を中初狩宿、後半15日を下初雁宿が勤めました。下初狩宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠12軒と比較的大きな甲州街道の宿場町でした。建物の敷地と道路とはかなり段差があるものの、旧本陣だった奥脇家の建築年代は不詳ですが木造2階建、切妻、平入、桟瓦葺、間口が広く本陣としての威容は健在でした。宿場の入り際には文化3年(1806)に建立された聖護院道興歌碑「今はとて かすみを分けてかえるさに おぼつかなしやはつかりの里」があり文明19年(1487)に聖護院道興が訪れ「回国雑記」の中に下初狩宿に訪れた様子が記されています。
又、山本周五郎誕生之地としても知られ、生家は洪水によって消失しましたが石碑が建立されています。山本周五郎は大正から昭和にかけての日本を代表する小説家で明治36年(1903)に山梨県北都留郡初狩村で父親「清水逸太郎」、母親「とく」の長男として生まれ明治40年(1907)まで当地で過し、その後東京に両親と共に上京しています。
中初狩宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒、宮川橋は当時は名勝として知られ、橋の上から富士山が見える事から「宮川橋の一目富士」と言われたそうです。
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