冨士御室浅間神社

  山梨県:歴史・観光・見所(ホーム)富士河口湖町:歴史・観光・見所>冨士御室浅間神社(読み方:ふじおむろせんげんじんじゃ)

概要・歴史・観光・見所

冨士御室浅間神社(富士河口湖町)概要: 冨士御室浅間神社は山梨県南都留郡富士河口湖町勝山に鎮座している神社です。冨士御室浅間神社の創建は文武天皇3年(699)、藤原義忠が富士山2合目(吉田口登山道)付近に勧請したのが始まりとされ、社号は祭壇の周囲に石柱で取り囲み、その中で祭祀を執り行われた事に起因するとされます(富士山信仰の神社としては最古とされます)。

和銅元年(708)に祭場、養老4年(720)に雨屋と社殿が造営されましたが延暦19年(800)の富士山の噴火により焼失し、大同元年(801)坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地を訪れ社殿を再建したそうです。

天慶3年(940)には藤原秀郷が平将門の乱の戦勝祈願を行い、見事念願成就すると神意に感謝し流鏑馬を奉納、それが起因となり中世は武田家がその神事を発展させ、現在は武田流流鏑馬神事として受け継がれています。天徳2年(958)には、当初の鎮座地は高所にあり特に冬場の参拝は大変だった事から村上天皇の勅命により里宮が造営され、本宮が富士山の山頂を背、里宮は河口湖を背とし両社が対面するように計画されました。

冨士御室浅間神社は周辺領主からも崇敬され文明7年(1475)に小林入道正喜が社領を寄進、戦国時代には武田家や小山田家が祈願所として庇護し、大永5年(1525)に武田信虎が社殿を修復し躑躅ヶ崎館(武田氏館:甲府市)と神門を南北方向で対になるようにしたと伝えられ、武田信玄は娘(北条氏政に嫁がせた黄梅院)の安産祈願の為当社に祈願文を奉納し社殿を修繕しています。

武田家が滅んだ後は徳川家、豊臣系大名が庇護し天正19年(1591)にはある加藤光泰が社領12石1升7合を安堵しています。江戸時代に入ると谷村藩から庇護され慶長17年(1612)には初代藩主鳥居成次によって社殿が再建されています。

スピリチュアルな雰囲気が感じられる冨士御室浅間神社の本殿
スピリチュアルな雰囲気が感じられる冨士御室浅間神社の本殿

江戸時代後期から富士山信仰、富士講が盛んになると社運も隆盛し多くの富士山登拝者が訪れたそうです。古くから神仏習合し小室浅間明神と称して別当として小佐野越後守が祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を「冨士御室浅間神社」に改め大正14年(1925)に県社に列しています。祭神:木花開耶姫命。

現在の冨士御室浅間神社本殿は慶長17年(1612)に建てられたもので一間社入母屋造り、銅板葺、唐破風向拝付、外壁は極彩色で彩られ、要所の透かし彫りが施され、当初は富士山2合目に鎮座する本宮本殿として建てられましたが昭和49年(1974)に里宮である勝山浅間神社境内に移されました。

江戸時代初期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重な存在で昭和60年(1985)に国指定重要文化財に指定されています。神門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門、木部朱塗り。

里宮の社殿は明治22年(1889)に再建されたもので拝殿は入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行6間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は三間社流造、銅板葺。随神門(神社山門)は入母屋、銅瓦棒葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、随身安置。

冨士御室浅間神社:上空画像

冨士御室浅間神社の本宮、里宮の境内一帯は平成25年(2013)に「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されています。

参拝に訪れた時、2つの神社が対面して配されていた事から大きな違和感を感じ、後で調べると、富士山2合目にあった本社社殿を現在地である勝山の地にあった里宮の境内に移築した事が判りました。富士山2合目に行った事はありませんが、本来その場所に祭る必要性があったはずなのに様々な理由で当地に遷されたようです。

神様にしてみれば、富士山が爆発すれば人間の都合で噴火を鎮める為に祭られ、維持出来なくなれば里に下ろされ、忙しい事です。個人的な意見では、里宮より奥宮の方が格式が高い印象がありましたが、現在の参道からの動線により里宮の方に参拝者が流れ、奥宮の方に参拝する人がまばらに感じました。神社山門は奥宮、里宮それぞれに配され、奥宮の方は朱塗りの神式風の意匠、里宮は単層門で仏式風の意匠で対比が面白いです。

冨士御室浅間神社の文化財
・ 冨士御室浅間神社本殿−慶長17年−国指定重要文化財
・ 武田信玄願文(2通)−弘治3年・永禄9年−山梨県指定文化財
・ 古文書(23通)−山梨県指定文化財
・ 勝山記−欽明25年〜永録2年−山梨県指定文化財
・ 冨士御室浅間神社神輿
・ 武田不動明王座像−室町時代(伝信玄自刻)
・ 聖徳太子像及び厨子−江戸時代初期
・ 冨士御室浅間神社里宮社

冨士御室浅間神社:周辺駐車場

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ


冨士御室浅間神社:ストリートビュー

冨士御室浅間神社:本殿・随身門・写真

冨士御室浅間神社の境内にある結構規模が大きな大鳥居
[ 付近地図: 山梨県富士河口湖町 ]・[ 富士河口湖町:歴史・観光 ]
冨士御室浅間神社の長〜い参道と石燈篭 冨士御室浅間神社里宮のどっしりとした神社山門(随身門) 冨士御室浅間神社里宮随身門から見た聖域となる境内 冨士御室浅間神社里宮参道石畳みから見た拝殿正面
冨士御室浅間神社里宮拝殿、右斜め前方の画像 冨士御室浅間神社里宮本殿、右斜め前方の写真 冨士御室浅間神社本社神門(四脚門) 冨士御室浅間神社本社本殿、右斜め前方の画像


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