保福寺(上野原市)概要: 安寧山保福寺の創建は天正10年(1582)、武田家の重臣加藤景忠(上野原城主)が開基となり日州宗運和尚(甲斐の高僧、深向院4世)を招き開いたのが始まりとされます。同年、織田信長と徳川家康連合軍による甲斐侵攻で武田勝頼が自刃すると、景忠は上野原城を捨て一族を引き連れ武蔵箱根ヶ崎まで落ち延びますがそこで北条方の軍勢と交戦し討死しています。
保福寺は外護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると谷村藩主鳥居成次が庇護し慶長6年(1601)には寺領4石8斗を寄進し、幕府も10石余の寺領を安堵しています。寺運も隆盛し境内には七堂伽藍が造営されていましたが宝暦元年(1751)の火災で本堂や庫裏などと共に寺宝や記録も焼失しています。
現在の保福寺本堂は宝暦5年(1756)祝全和尚により再建されたもので寄棟、鉄板葺、平入、桁行11間、梁間8間、江戸時代中期の寺院本堂建築の遺構として貴重な存在です。山門は慶応元年(1865)に造営されたもので、向唐門、銅瓦棒葺、一間一戸、四脚門、承天禅師筆「安寧山」の扁額が掲げられています。
寺宝である応安6年(1373)に製作された「雲版」は銅製、縦44cm、横40cm、厚さ0.7cm、撞座直径9cm、大工金刺重弘作、雲版としては山梨県最古の貴重なものとして山梨県指定文化財に指定されています。
境内には加藤景忠の供養塔や芭蕉句碑(父母のしきりにこひし雉子の聲)、「月見寺」の石碑などが建立されています。甲斐百八霊場第21番札所。山号:安寧山。宗派:曹洞宗。本尊:地蔵菩薩。
保福寺:上空画像
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