鶴川宿(上野原市)概要: 鶴川宿は甲州街道の宿場町で正徳3年 (1713)に整備されました。天保14年(1843)当時は本陣1軒(富田家)、脇本陣1軒、旅籠8軒(大3軒、中3軒、小2軒)、家屋57軒、人口295人の規模がありました。鶴川は甲州街道の河川の中で唯一の徒歩渡しだった為、大雨などで増水すると川止めとなり多くの旅人が鶴川宿を利用しました(冬場は板橋が掛けられていた)。脇本陣である柏屋は問屋職も兼ね、間口24間(約43m)、奥行18間(約32m)の屋敷に上段の間や式台付の玄関など格式の高い建物があったそうです。
鶴川宿の鎮守である鶴川神社の詳細は不詳ですが本殿は寛文元年(1661)に建立されたもので、一間社流造、棟梁は久保村出身の和智伝五右ヱ門、明治6年(1873)に村社に列し、境内には街道沿いにあった「駒つなぎ石」が移されています。祭神は須佐之男太命。
宿場はずれにある大椚観音堂には江戸時代初期から中期にかけて彫り込まれた千手観音菩薩坐像(寄木造:像高60.7cm、上野原市指定文化財)、大日如来坐像(寄木造:像高58.2cm、上野原市指定文化財)が安置され郡内三十三観音二十四番札所となっています。鶴川宿は大正10年(1921)の大火で多くの家屋を焼失し江戸時代以前の建物は殆どありませんが、静かな町並みは当時の宿場町の雰囲気を残しています。
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