上野原宿概要: 上野原宿は甲州街道の宿場町で、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠20軒、6町18間の規模を持ち大きく新町と本町の2つの町で構成され、交代で伝馬継ぎ立てを行っていました。甲斐国最初の宿場町で国境付近には堺川御関所(諏方の御関所)が設けられ、特に女性が甲斐国から武蔵国に入る場合は女手形が必要だったとされます(男性は上り、下り共に手形は必要なし、女性は上りは手形なしで通過出来たとされます)。上野原宿は当地域の経済的中心として多くの物資が集められ寛保2年(1742)には市が開かれさらに発展しました。
上野原宿の鎮守である牛倉神社の創建は不詳ですが奈良時代に編纂された甲斐国風土記(残篇)に古郡幸燈明神されている事から少なくともこれ以前から鎮座していました。歴代領主からも崇敬庇護され永禄9年(1566)には加藤景忠により社殿が再建され、明治5年(1972)に郷社に列しています。例祭は毎年9月15日、吉田の火祭、谷村の八朔祭と共に郡内の三大祭に数えられています。
保福寺の創建は天正10年(1582)加藤景忠が日州宗雲を招いて開いた寺院で境内には芭蕉句碑(父母の しきりにこひし 雉子の聲)が建立されています。現在も上野原市の中心部として都市的な発展を遂げました。現在の街道沿いは主要幹線が通った為、道路の拡幅と建物の近代化により殆どありませんが、所々に土蔵の町屋が点在し、本陣(藤田家:明治天皇巡幸の際には行在所として利用されています)の表門や長塀などが残されています。
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