軍刀利神社(上野原市)概要: 軍刀利神社は山梨県上野原市棡原に鎮座している神社です。軍刀利神社の創建は平安時代の永享3年(1049)に三国山山頂に勧請されたのが始まりと伝えられています。
武州檜原郷、相州佐野川郷、棡原郷の総鎮守として広く信仰されていましたが室町時代の延徳年間(1489〜1491年)に火災により社殿が焼失し現在地に遷座しています。
周辺領主からも軍神として崇敬され戦国時代には武田信玄が自画讃水仙図を奉納し、中世の領主だった小山田氏は歴代の祈願所として庇護しています。特に享禄3年(1531)に小田原北条氏が領内に侵攻した際には、小山田越中守が戦勝祈願を行ってから「矢坪坂の戦い」に臨み、北条氏綱勢を敗走させ勝利に導いた事から神意に感謝し金百両を寄進しています。
小山田氏は天正10年(1582)に武田家が滅亡したと同時に没落しましたが、その後も上野原豪族の加藤氏や小菅氏は篤く軍刀利神社を崇敬庇護し江戸時代を通して神社の維持費を担っています。江戸時代末期に編纂された「甲斐国志」にも軍刀利神社の事が記載され「軍茶利夜叉明王社棡原村井戸鎮守、永正八年鰐口有銘略之、寛永九壬申年棟札あり。略之、祭礼霜月十九日除地下畑五畝拾八歩、下々畑一畝貳拾歩別当修験大正院」とあり、修験道の系統だった事が判っています。
その為、仏教色の強い「軍茶利夜叉明王社」と称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され現在の社号である軍刀利神社に改め明治6年(1873)に村社に列しました。祭神:日本武尊。
奥之院の前にある「軍刀利神社のカツラ」は樹高31m、幹周9.1m、推定樹齢300年以上の古木でカツラの木としては山梨県最大として貴重である事から昭和36年(1961)に山梨県指定天然記念物に指定されています。参道にある「井戸のサイカチ」は樹高18m、幹周3.13m、根回り4.12m、市内を代表するサイカチの大木として貴重な事から昭和49年(1974)に上野原市指定天然記念物に指定されています。
軍刀利神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社入母屋造、銅板葺き、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁や唐破風、懸魚、木鼻には精緻な彫刻が施され、複雑な組物が見られます。絵馬殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、桁行5間、張間2間、外壁は真壁造板張り、内部には様々な絵馬が奉納されています。
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