藤武神社(韮崎市)概要: 藤武神社は新府城(山梨県韮崎市中田町中條)の旧本丸に鎮座している神社で、武田勝頼公霊社前の案内板に「・・・新府城守護神藤武神社・・・」とあります。
藤武神社の創建は新府城が築かれた天正10年(1582)前後とされ、城の鎮守社として稲荷郭に社殿が設けられたようです。しかし、新府城が完成する前に、織田・徳川連合軍が武田領に侵攻、頼りにしていた家臣達も悉く霧散した為、立て籠もる事を不利を悟った武田勝頼は城に火を放ち小山田信茂の居城である岩殿城に退きました。藤武神社は新府城と運命を共にし焼失したと思われます。
同年の本能寺の変により織田信長が自刃し、空白域となった旧武田領を巡り正壬午の乱が発生すると、徳川家康は新府城を本陣とし、家臣で徳川十六神将の一人に数えられる平岩親吉に藤武神社の再興を命じたとされます。
天正18年(1590)、家康の関東移封に伴い新府城は廃城となりますが、藤武神社は周辺住民の鎮守として維持され現在でも例祭では地元の人たちから「お新府さん」と呼ばれ御輿渡御や神楽奉納などが行われます。
藤武神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付。本殿は三間社入母屋造、銅板葺き、桁行3間、梁間2間。祭神:倉稲魂命、天照大神、月読命、保食命、稚産霊命、武田勝頼公。
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