小山田家

  山梨県:歴史・観光・見所(ホーム)>桂林寺(都留市)
【 菩提者 】 小山田氏は武蔵国秩父平氏の流れを汲む平重弘の2男、平有重の子供とされる平行重の後裔とされる氏族です。武蔵小山田荘を領した事から地名に因み「小山田」姓を名乗るようになり、源平の合戦では源頼朝に従った事から一定勢力を維持したと思われます。南北朝時代に入ると甲斐守護職の武田家と度々抗争があったものの、姻戚関係を深め、戦国時代には従属するようになっています。一方で郡内領全域を掌握するまで発展し独自の支配権を確立しています。享禄3年(1530)には中津森館から谷村館に本拠を移し領内や城下町の整備を行うなど独自の政策を行いながら武田家の本拠である躑躅ヶ崎館(武田氏館:山梨県甲府市)にも屋敷を構えています。特に谷村には後に甲州街道と呼ばれる大動脈の他、鎌倉街道からは駿河国、笹子峠越えからは甲府や相模国、谷村道からは吉田に通じる事が出来る交通の要衝だった事から各街道の整備と、それを利用した輸送業の保護などを行っています(郡内領には武田家からの発給書も多く複雑な支配体制だった事が窺えます)。文化面では富士山信仰に傾倒し、富士浅間神社に仕える御使衆を保護、一説には全国に富士山信仰の布教活動を行った御使から各国の情報を聞き出す事に利用したとも言われます。軍事的は武田信玄の命に従い、信濃侵攻や川中島の戦いなどの従軍して功を挙げ小山田信茂は「弓矢の御談合七人衆」に数えられ家臣団の中でも重要視されるようになりました。天正10年(1582)の織田、徳川連合軍による武田領侵攻の際、信茂は当主である武田勝頼を自領の岩殿城に招きながら、突如として武田家から離反して織田側に転じ、勝頼自刃の要因となっています。織田側は信茂の行為を不忠者と断じ、主要な一族は甲斐善光寺の境内で斬首され一勢力としての小山田家は没落しました。桂林寺(山梨県都留市)は小山田家歴代の菩提寺で、桂林寺境内には小山田家の墓碑が建立されています。

【 寺  号 】 桂林寺
【 所在地 】 山梨県都留市金井
【 創建年 】 平安時代
【 開  山 】 弘法大師空海
中興:格智禅師
【 開  基 】 中興:小山田弥二郎富春
【 山  号 】 富春山
【 宗  派 】 臨済宗妙心寺派
【 本  尊 】 薬師如来
【 備  考 】 小山田家の墓碑(6代信膳・7代信恵・8代信澄・9代信朝・10代信美・14代信隆・15代信有・16代信有・17代信茂)
山梨県大名菩提寺
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