北杜市: 北原家住宅

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概要・歴史・観光・見所
北原家住宅(北杜市)概要: 北原家は寛延2年(1749)、現在の長野県伊那市高遠町から移住して酒造業を創業したのが始まりと伝えられています。天保6年(1835)には高遠城主内藤駿河守より「竹林の七賢人」の欄間が送られ「七賢」の名前の由来となっています。その後、諏訪高島藩や伊那高遠藩の御用商人となり、甲州街道の宿場町である台ヶ原宿の脇本陣を勤めるなど豪商としても名を馳せます。明治13年(1880)には明治天皇が山梨を御巡幸した際行在所として利用されています。

現在の北原家住宅主屋は嘉永7年(1854)に建てられたもので木造平屋建て(1部2階)、切妻、平入、銅板葺、桁行18.1m、梁間18.7m、旧台ヶ原宿に残る最大の町屋建築で、主屋の脇には表門が設けられ直接屋敷内に出入できる本陣や脇本陣で見られる構成になっています。又、内部には座敷が3室並べられ、明治天皇が利用した室には床の間や違棚、付書院などを設けた格式の高い仕様になっていてます。北原家住宅(主屋、奥便所、文庫蔵、文化蔵、附地家相図他)は江戸時代末期に建てられた豪商町屋建築の遺構して貴重な存在で平成12年(2000)に山梨県指定有形文化財に指定されています。甲斐七福神:弁財天。

【 台ケ原宿 】−江戸時代初期に甲州街道が開削されると宿場町として町割りされた町で、宿駅開設には実力者だった台原家が大きく尽力したとされます。江戸時代後期の記録によると台ケ原宿は本陣1軒、問屋1軒、旅籠14軒の規模だったとされ、江戸時代初期から中期にあたる慶安5年(1652)から元禄3年(1690)には徳川将軍専用の宇治の新茶を運ぶ御茶壺道中が台ケ原宿を利用しています。台ケ原宿の甲州街道沿いは「日本の道百選」に選定されています。

【 甲州街道 】−甲州街道は江戸時代初期には開削された街道で、特に江戸城が落城した際に撤退する経路として位置付けられた為に重要視され五街道に数えられました。経路は中山道の下諏訪宿から分岐し、江戸城の城下町の入り口にあたる内藤新宿まで38宿で構成され、同区間を比べると中山道より短かったものの、上記のように軍事利用される事が想定された為、参勤交代で利用する諸侯は高遠藩、高島藩、飯田藩の3藩に限られました。

北原家住宅:写真

北原家住宅
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