海岸寺(北杜市)概要: 津金山海岸寺は山梨県北杜市須玉町上津金に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。海岸寺の創建は奈良時代初期の養老元年(717)、行基菩薩(奈良時代の高僧、日本初の大僧正)が庵を構えたのが始まりとされます。
伝承によると行基菩薩は2躯の千手千眼観世音を彫刻し、1躯を当寺、もう1躯を長野県の海岸寺に安置したと伝えられています。天平9年(737)に聖武天皇(第45代天皇・在位:神亀元年724年〜天平勝宝元年749年)の勅願所として「光明殿」の勅額を賜り、寛治年間(1087〜1094年)には甲斐源氏の祖となった新羅三郎義光(河内源氏2代目源頼義の3男)が玄観律師を招いて鎮護国家の大道場として境内を整備しました。
その後も海岸寺は甲斐源氏祈願所として庇護された事で寺領などの寄進が行われ、応安年間(1368〜1375年)には甲斐源氏の後裔の武田武清が建長寺(神奈川県鎌倉市)から石室善玖和尚(筑前国出身の臨済宗の高僧、中国元に渡り古林清茂に師事、帰国後、天竜寺や円覚寺、建長寺などの名刹の住職を歴任)を招いて臨斉宗に改宗し中興開山しています。
天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻の兵火により多くの堂宇、寺記録、寺宝などが焼失しましたが、天正11年(1583)に新たに領主となった徳川家康から庇護され再建、慶長8年(1603)には徳川家の天下安寧の祈願所として寺領が寄進され境内も順次整備されています。
現在の海岸寺観音堂(大悲閣)は弘化2年(1845)から20年の歳月をかけて完成したもので、入母屋、妻入、銅板葺、正面1間向拝付、間口3間(10.9m)、奥行5間(9.21m)、棟梁は立川流、立川和四郎富昌、江戸時代末期の寺院御堂建築の遺構として貴重な存在で昭和48年(1973)に北杜市指定文化財に指定されています(室町時代に建てられた旧観音堂は村山西割の聖観音堂として移築されています)。
百番観世音石仏は現在の長野県伊那市高遠町出身の守屋貞治が製作したもので西国33カ所、坂東33カ所、秩父34カ所の各札所の観音像100躯で構成、意匠的に優れ、保存状態も良い事から昭和63年(1988)に北杜市指定文化財に指定されています。
六地蔵板碑は明応9年(1500)に建立されたもので、六地蔵信仰と板碑が結びついた非常に珍しい例として平成10年(1998)に北杜市指定文化財に指定されています。山門は寄棟、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、外壁は真壁造板張り、左右には素朴で朱色に仕上げられた仁王像が安置しています。
海岸寺鐘楼門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門、上層部が釣鐘堂、周囲に高欄、外壁は上層のみ、下層共に柱のみの吹き放し。海岸寺本堂は入母屋、銅瓦棒葺、平入、桁行5間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、内部の内陣には本尊である釈迦如来像が安置されています。経堂は宝形造、銅板葺き、土蔵造り、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁仕上げ、開口部扉には鏝絵、内部には鉄眼和尚が制作した一切経全巻が収められています。
甲斐百八霊場第71番札所。甲斐八十八ヶ所霊場第48番札所。甲斐国三十三観音霊場第13番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:補陀落は 余所にはあらじ 津金なる 大悲も深き 海の岸寺)。山号:津金山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
北杜市:神社・仏閣・再生リスト
|