増穂町(歴史)概要: 増穂町は平安時代に入ると荘園開発が進み、増穂町では大井荘が成立し、甲斐源氏の一族が地名から大井氏を名乗り周辺を支配するようになります(甲斐守護武田信武3男信明が祖)。
戦国時代に入ると大井氏の勢力は西郡一帯に広がり甲斐国内でも有力な国人領主となり武田家とも敵対しますが永正17年(1520)に武田信虎の正室に娘(大井の方)を与える事で和睦しています。その後、武田家一族である一条氏が支配し、武田氏が滅び江戸時代に入ると概ね天領となり上飯田代官支配(天明7年以降は市川代官支配)となります。
又、富士川舟運が盛んなると青柳河岸に多くの物資が集められるようになり甲州三河岸の1つに数えられる程に繁栄し、駿州往還(身延道)が通っていたこともあり物資や旅人、久遠寺の参拝者などの往来が盛んに行われました。
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