妙法寺(富士川町)概要: 徳栄山妙法寺は山梨県南巨摩郡富士川町小室に境内を構えている日蓮宗の寺院です。妙法寺の創建は飛鳥時代の持統天皇7年(693)、修験道の開祖とされる役行者が開いたのが始まりと伝えられています。当初は仁王山護国院金胎寺と称し真言宗の寺院として寺運が隆盛し、東国33ヶ国の山伏の棟梁として多くの修験者を受け入れていたとされます。
鎌倉時代の文永11年(1274)、身延山久遠寺(山梨県身延町)を開いた日蓮上人が当寺を訪れ、住職の恵頂阿闍梨・善智法印と法論を交わした結果、恵頂は日蓮に帰依し名を日伝に改め真言宗から日蓮宗に改宗し、寺号を妙法寺に改称しています。
妙法寺第10世日薬は武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主・甲斐国守護)の叔父にあたる人物とされたところから武田家の祈願所として庇護され、天文年間(1532〜1554年)には信玄から寺領が寄進、現在地に境内を移し堂宇を造営したとし現在でも信玄自筆、花押入りの古文書が寺宝として残されています。
武田家の勢力が大きく後退した天正9年(1581)には境内周辺は徳川領となり、同年に徳川家康が禁制を発布、江戸時代に入ると幕府から庇護され3代将軍徳川家光をはじめ歴代将軍から朱印状を賜わり寺領が安堵されました。近年では「アジサイ」の名所として知られ、「アジサイ寺」の別称がある程、毎年見頃となる6月下旬には「あじさい祭」が行われ、数多くの参拝者、観光客、アジサイ愛好家が訪れます。
妙法寺総門は江戸時代中期の正徳2年(1712)に造営されたもので、切妻、桟瓦葺、一間一戸、高麗門形式。三門は明治30年(1897)に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺、正面軒唐破風、五間三戸、十二脚二重門、桁行23m、梁間7m、高さ25m、外壁は真壁造板張り、上層部には高欄付き、下層部左右には仁王像安置、唐破風の直下には「徳栄山」の山号額が掲げられています。
鐘楼は入母屋、桟瓦葺き、袴腰付(下見板張り)、高欄付き、外壁は柱のみの吹き放し。妙法寺の寺宝である金銅金具装笈は室町時代に制作されたもので総高80.6cm、幅64.0cm、奥行32.5cm、貴重な事から昭和42年(1967)に山梨県指定文化財に指定されています。山号:徳栄山(看板等には「小室山」)。宗派:日蓮宗。本尊:大曼陀羅。
妙法寺:上空画像
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