南明寺(富士川町(旧増穂町))概要: 南明寺の創建は正慶2年(1333)に当時の領主である大井春明が雪山玄呆を招き師である明峰素哲を開山者として勧請し一庵を設けたのが始まりと伝えられています。その後も有力寺院だったらしく、永禄8年(1565)の亀源寺宗椿等連署状には「甲州大井庄内補陀山南明之事」との一文があります。
天正8年(1580)に住職となった用山義存は徳川家康が今川時代に知り合いだった人物で、家康が領主になると何度も当寺を訪れ多くの縁の品を寄進しています(特に家康の守り本尊とされる八幡神像があります)。又、伝承によると徳川家康が朝倉氏に敗れ甲斐に落ち延びた際、旧知の仲だった義存を頼り南明寺に匿われ、敵方が捜索の為に境内に侵入してくると、義存が機転をきかせ家康に僧衣を着せ、小坊主と共に擂粉木で味噌を擦らせて敵の目を欺いたと伝えられられています。
正面の山門(三解説門)は江戸時代中期に建てられたもので、切妻、桟瓦葺、四脚門、禅宗様の特色が見られ、四脚門としては規模が大きく貴重なことから昭和59年(1984)に富士川町(旧増穂町)指定文化財に指定されています。甲斐百八霊場第84番札所。山号:補陀山。宗派:曹洞宗。本尊:聖観世音菩薩。
南明寺:上空画像
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