市川家住宅(身延町)概要: 市川家住宅は山梨県南巨摩郡身延町和田に屋敷を構えている古民家です。市川家の祖先は武田家に従った武士で狼煙台の管理などを行っていました。武田家が滅ぶと帰農したと見られ、江戸時代には豪農化し周辺の新田開発や用水路の整備、富士川舟運、平等寺(日蓮宗)の建立などに尽力を尽くし大庄屋や名主なども務めていました。
現在の主屋は享和2年(1802)の火災で焼失後の享和3年(1803)に建てられたもので、かぶと造り、茅葺、桁行11間(約21m)、梁間5間(約9.1m)。
市川家住宅の内部は全体の4割が土間で残りが6間取り構成され、座敷には床の間や棚、長押、棹縁天井が設けられ格式の高い仕様になっています。玄関は2箇所あり、正玄関は式台付で座敷に直接上がれ、身分の高い人物が利用し、通常の家人は土間から出入り出来るようになっています。2階は蚕の育成や養蚕の作業場で、かぶと造りにする事で通風と採光を取り入れるようになっています。米蔵は土蔵2階建、切妻、鉄板葺、外壁は白漆喰仕上げ。
旧市川家住宅の主屋と米蔵は江戸時代後期に建てられた、大型かぶと造り建築として貴重な存在で、建築年が明確で当時の豪農の生活様式を伝えるものとして軒札(2枚)、家相図(1枚)、地相家相方位心得之書(1冊)、覚書(1枚)、旧材妻飾り(一式)、宅地(759.36u)と共に平成19年(2007)に山梨県指定文化財に指定されています。
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市川家住宅:上空画像
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